人口抑制政策を引き継ぐジェンダー平等志向。そして、働く女子の運命へ。

戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。

hihi01 さんに IDコールされました。

hahnela03 さん、人口抑制政策は父もよく話してしました。満州事変の大義名分も増えすぎる人口の問題で起こったと。国こそが人口抑制を奨励していたと。人災です。いまこそ意識を変えるべきです。

 満州問題が、江戸期から明治にかけての人口増への対応ですし、戦後の中山間地事業は満蒙帰還者対策でもあったのは承知しています。

 ただ、日本は人口増加の抑制を、避妊・家族計画の普及以前に中絶で実現した稀な国となったと言われているようです。ので、調べてみました。

水子供養はなぜ定着したか?

水子供養」が広まった理由として「戦後にフリーセックスなど性の乱れが広がったため、妊娠中絶をする女性が増えたから」ともいわれているが、人口中絶の統計を見ると、戦後最も中絶が多かったのは、1955年(昭和30年)の117万143件である。

江戸時代では、本来「水子」は神の子とされ、たとえ流産や死産、中絶をしたとしても、それは神の元に帰るのであり、親を怨んだり祟ったりするという考えはけっしてなかった。そもそも、まだ世にも出ていない胎児が「親を怨み、親を祟る」などという発想はなかったのだ。

 日本の風土としては、中絶に対しての抵抗感はもともとあまりなく、避妊・家族計画の普及する以前から、「おしん」にみられるような行為が黙認されていた。また、戦後の進駐軍兵士や日本軍の帰還兵等も含め関係を持ったが、経済的な理由等により中絶せざるを得なかった方が大半だったのでしょう。「授かりもの」というのは、子に恵まれない家系にとっては、養子が一般的だった、上流階級的なものがあったのかもしれません。


日本の避妊・中絶の歴史 (詳細)
 海外移住促進と人口抑制、母体保護法(優性保護法)の経緯

 日本において女性に対する保護は、一次産業において労働の担い手であり家庭の差配を分担するためには、必要不可欠な措置であったと思います。子供が10以上産むというのは大変な負担でもあったわけで、女性の様々な負担からの解放というのは、高度経済成長期での白物家電の普及を後押しし、日本型の雇用と共に現在とは違うワークライフバランスを志向していたのかもしれません。


遠野不思議 第七百五十二話「名誉殺人」

まあ実際、この話は作り話ではあろうが、遠野にも多くの夜這いの話が残っている。果ては、河童の夜這い話まであり、遠野だけでは無いが、昔は今程に性に対するものの考えが、かなり緩かったのが事実のようだ。明治時代になり、西洋の一夫一婦制の思想が広がり、現代では夜這いや不倫などというものは否定された。それでも暗にそういうものは続いていたようだ。ある古老に聞くと、昭和50年代にも、そういう行為はあったと聞き、驚いたものであった。

 非嫡出子は「夜這い」の習俗がかなり一般的であったなかで、現在の様にDNA鑑定で決められない中での知恵として、「授かりもの」として、大事にすることで、「名誉殺人」へ至らないための措置であったと思われます。

遠野の歴代の女殿様となった清心尼公は、そういう不貞な行為は厳罰とし、それを犯した者は処刑とした。これは清心尼公が進歩的な考えを持つ人で、女性の地位を向上させる為には、女性そのものも身持ちを堅くししっかりしなければいけないという考えからのものであったようだ。そういう意味で、清心尼公の不倫した者を処刑したという政策もまた、遠野南部藩としての「名誉殺人」であったのだろう。そして、この話も巷に横行する夜這いという習俗に相対する意識から語られた話であるという事であろうから、貴重な話であると思う。

 遠野南部家は警察権を独自に保有する特異な藩でありました。盛岡南部家との関係も複雑に入り組んでいます。この遠野南部家の清心尼公の話として、「家の外のことは男が、家の中のことは女が決める」男女の役割分業と責任分担を領民に説いた。という話があります。この地だけではなく、当時の日本の男女の役割分担がどのようになっていたかを知る逸話となっています。ただ、閉鎖的になりがちで遺伝的な面から「お種貰い」として別の地地域から世話をして貰い「婿取り」をするのも多かったようです。大槌町は嫁にはやらず「婿取り」を好むのはそのような習俗の伝統があるのだと思います。庶民の婚姻が男子相続というより女性相続が主という流れのなかで現在とは違うワークライフバランスが育まれていたのでしょう。

 女性の貞操を守る事が、当事者である女性のみならず「家」及び「婿」の名誉を守るというのも、また極めて日本的な考えであるように思われます。「産児制限」や「人口抑制」が日本人に受け入れやすい土壌を持っていたのだと言うことですね。
 当然ながら、出産を抑制していく中で、女性に求められていくものが「労働」への参加に向かうのは自然な流れの様でもありますが、都市化する日本的な部分は以外にも女性には補助的な労働での参加しか認めないという傾向がみられるのも「都市化」を眺めるうえでの捻れには苦笑せざるを得ません。

未成年の人工妊娠中絶の推移と地域差

資料は厚生労働省が発表している「衛生行政報告例」であるが、これは、保健所を管轄している都道府県や政令市、中核市から公衆衛生関係の各種データの報告を得て取りまとめている業務統計である。妊娠人工中絶は、母体保護法(1997年以前の法律名は1948年制定の優生保護法)にもとづき医師が「母体の健康を著しく害するおそれのある」など限られた場合に本人の同意を得て行うもののみ刑法の堕胎の罪による処罰を免れることになっており、かつては、母体保護統計として集計されていたが、現在は、衛生行政報告例に統合されている(戦後における母体保護法優生保護法)の変遷の詳細については、巻末コラム参照)。

 人工妊娠中絶(以下、中絶と略す)は、戦後の一時期は非常に多かった。中絶件数の推移(末尾にデータ表掲載)を見ると、1949年に10万件であった人工妊娠中絶の件数は、1953年には100万件を越え、1955年には117万件のピークに達した。1954〜55年には、15〜49歳女子1000人当たり、50.2件の中絶が実施されていた。毎年100人当たり5件である。総ての女性が仮に生涯の中で20年間に一度中絶をすると丁度この頻度に達するので、多くの女性が中絶を経験していた状況があったと考えられる。

 なお、沖縄ではこうした出生率低下へ向けた動きが米国の施政権下にあって本土ほど顕著に起こらなかったため、沖縄の出生率水準は本土よりかなり低い戦前の状況から返還後一気に全国1へと浮上した(図録7300参照)。

米軍統治下沖縄の助産婦による避妊普及活動とその変容

リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」は、1994年のカイロ国際人口開発会議(International Conferenceon Population and Development, ICPD)で採択された行動計画(カイロ行動計画)の支柱をなす概念である。性や生殖に関する選択が、国際社会や国家、文化、家父長制などの統制を受けることなく、個人、とくに女性の自由意志に基づいて行われなければならないことを主張する。この概念は、1995年に北京で開かれた第4回世界女性会議で女性の権利として明確に位置づけられ、現在もなお国際的な人口開発政策の主要課題となっている。
人口開発政策議論において出生抑制を表す概念は、1950年代以降、「産児調節」から「家族計画」へ、そして「リプロダクティブ・ヘルス╱ライツ」へと変化した。

「生む機械」「二人以上」というワードにフェミやリベラルが過剰なまでに反応するのは、このような社会的背景に拠っています。

第2次世界大戦後、開発途上地域における「人口爆発」が西側先進諸国にとって世界秩序を乱す脅威として「問題」視される中、「家族計画」運動は、単一体としての家族内における受胎(妊娠)の調節を主要理念に、明確な数値目標をかかげた人口抑制政策として国際的に展開されるようになる。

人口抑制が日本だけではなく、当時の世界共通の危機意識によるものであることも見て取れます。人口が増えたから戦争が起きた。という考えもあるのかもしれませんから、占領政策による「人口抑制(二度と戦争ができなくする)」という見方に拠るのかもしれません。どちらにも理がありそうです。

性や生殖に関する事柄を、人口政策の枠組みではなく「健康」という視点から捉えなおし、それを女性の権利として保障することを意味する。保障されるべき「健康」は、生殖期間に限られたものではなく、ライフサイクルにわたるものであり、母子保健や「家族計画」と同義語ではない。第二に、女性の身体や性と生殖に関する「自己決定権」とその保障である。

これにより、女性は、国際社会や国家、宗教や文化、共同体や家族からの制約を受けずに、「子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決める自由をもつ」(外務省1996)ことになる。

そのために、女性は、自ら選択した安全で経済的に無理のない避妊法と人工妊娠中絶に関する情報を得て、その方法を利用する権利を有さなければならない。

第三に、「リプロダクティブ・ヘルス╱ライツ」の享受を実現するために、あらゆる社会の女性差別的な態度・慣習を変えていこうとする、ジェンダー平等志向である。

人口抑制政策は、ジェンダーと一体のもので、日本の人口が抑制されて減少していくのは、日本のジェンダーにとっては自明の運動であるのかもしれません。


◆「優生手術に対する謝罪を求める会
 保守派と言うよりもリベラルによる戦後のGHQによる出産抑制と優生学に基づく出産制限への批判が現在も続いているようです。

戦後、米軍の治外法権地帯となった沖縄では、米兵による強姦や米兵相手の売買春があとを絶たず、その結果としての望まない妊娠も多かった。

 岩手県における公立病院の設置は、他の都道府県に比べても多いです。「日本のチベット」ということで、貧しい地域であったこともありますが、沖縄県と同様のことが当時の全国各地では当たり前だったことを、改善する動きとして、地方自治体による取り組みへと向かったようです。

岩手における地域医療の歴史と地方自治体の役割 : 県立病院等の成果と課題

合計特殊出生率の推移

日本の場合、戦前から多産から少産の動きははじまっていたが、戦後のベビーブームの終息という状況も加わって、1950年代に合計特殊出生率は大きく低下した。この出生率低下は、当初は人工妊娠中絶によるところが大きかったが、急速に避妊(受胎調節)の普及によって取った代わられていった(末尾の【コラム】参照)。

中絶件数が最も多かった年は1955年だそうですが

都市では外国の兵隊さんの子を身籠った人が少なくなかったようです。
事実、1946〜58生まれのハーフは多いですよね。

受け入れて「子を産む選択」をした女性と「望まぬ子を産まない選択」する女性と国際的及び政府による人口抑制がマッチした時代だったのかもしれません。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”というのは、反米的な感情を高めるには良いけれど、同程度にジェンダーにも力を付けさせたとも言えるのではないでしょうか。

出生数と中絶数をだらだら並べてみたり。そしたら少妊娠化が見えてきた〔追記あり〕

まとめ
・子は授かりものではなく計画的につくるものに変わりました。
・計画が立たなければ妊娠すら避けるようになりました。
・〔20代においては〕でき婚が増えたというのは出生が減ったからそう見えるだけです。でき婚ができるくらいでないとこの国で子育てすると言う決断を下すのは難しいようです。「性の乱れ」ではなく子育ての難しさが現れているということです。

 人口抑制政策は世界共通の課題として取り組みが始まり、その結果としての少子化や晩婚化等が進み、女性労働の拡大へと続きます。このあたりが「おひとり様」と女性労働者の均等待遇への活動も含め変遷へと向かいます。「おひとり様」の帯びが付いててその点だけが嫌ですが、中身は本当に良い本ですので、読んでいて付箋を付けた箇所を抜粋してみます。

「働く女子の運命」
 はじめに P4

 なぜ、日本の女性はこんなにも活躍していないんでしょうか。日本はもともと男尊女卑の国だから? いやいや、前近代社会からずっと、日本は決して女性の地位の低い国ではありませんでした。むしろ、昔から男女平等でやって来たような顔をしている欧米諸国の方が、ほんの数世代前に遡れば、働く場においてはかなり頑固な男性優位、女性排除が色濃く存在していたのです。男女平等等がまともに議論されるようになったのは二〇世紀になってから。政府が取り組むべき課題となったのはその後半からです。

 今回の「働く女子の運命」は文体がとても読みやすく、優しい印象を受けました。編集者のお力なのか、hamachan先生が意図して抑制しているのか、双方の努力が受け取れます。はじめにで、日本が男女卑社会では少なくともなかったから始まるのは、日本型雇用が保守的な土壌からではない。というある種のリベラルな方達には受け付けにくいところから始まるのはなかなかできる事ではありません。

「働く女子の運命」序章 日本の女性はなぜ「活躍」できないのか?
 「市場主義の時代」と非正規化 P22

 1990年代半ば以降、日本社会では新自由主義(ネオ・リベラリズム)といわれる思想が優勢になり。様々な分野で規制緩和政策が進められました。ある種の論者に言わせると、この規制緩和が諸悪の根源で、このために古き良き日本型雇用が崩壊し、社会が不安定になってきたと言うことに成ります。
女性の地位向上を求めるフェミニスト女が規制緩和万歳のネオリベ野郎と結託して日本をダメにしたと言わんばかりの議論もあります。一方で、この思想のイデオローグである八代尚宏氏などに言わせると、日本型雇用こそが女性を抑圧してきた諸悪の根源なのであって、規制緩和路線は彼女らを開放するモノであったと言うことになっています。

 P25

 そこで、本書では日本型雇用システムの形成、確立、変容の過程を歴史的にたどりながら、働く女性の歩みを見ていきたいと思います。単に女性に着目した女性労働史ではなく、むしろ日本型雇用の歴史そのものが女性のありようの変化を物語るというのが目標です。

 日本型雇用が男性に対し「滅私奉公」を求める代償としての終身雇用を含めた身分保障を行うという考えがありますが、中小零細企業ではあまり聞かない話です。また、地方においては一次産業での「三ちゃん農業」での女性労働の担い手としての重要な役割を担っていたため、これらは「都市化問題」という部分から見ておりました。新日鐵労働者による労働組合が強い力を持つ当地での労働組合員による女性蔑視はむしろ強かったと感じています。日本型雇用が個人の資質ではなく、個人と企業の融合による社会的強大化を取り違える方向にいったことと、「トヨタで働いている(正社員)」と「トヨタの工場で働いている(非正規雇用)」等の帰属意識が「古き良き日本型雇用」の全てであったと言えるでしょう。

「働く女子の運命」第一章 女子という身分
 4女子挺身隊と労組婦人部 「むしろ女子を徴用せよ」P47

 こうした「国民皆労」のイデオロギーに寄り添う形で、戦前婦人参政権運動で活躍した市川房江氏、山岡しげり氏なども当時、大政翼賛会で「むしろ女子を徴用せよ(躊躇はご無用、未婚女子は待っている、徴用制のいい処)」と、女子労働員積極的に求めました。『赤毛のアン』の翻訳で有名な村岡花子氏もその一人です。逆に東条英機首相は、女子を「勤労部門に駆り立てる事は家族制度の崩壊」だと消極的だったようです。これに対し、市川氏らは「徴用で勤労・・・に出るのは家族制度を破壊するが、自発的に出るのは破壊しない」という論理がたつのでしょうか。婦人の勤労については、政府自身もっとはっきりした婦人の勤労観をもってほしい・・・政府始め社会の各層の殆ど全ての男子の人達の婦人に対する考え方が、封建時代からの思想から一歩もでていない事を遺憾にも歯がゆくも思われてなりません」と反発しています。戦時フェミニズムの面目躍如といったところです。
 こういった戦時女子労務動員は終戦時には300万人に達し、この時期の就労経験が戦後の意識に何らかの影響を及ぼしていると思われます。

 NHK朝ドラが、戦時フェミニズムを含めたイデオロギーに寄り添う形で構成されているのは、なかなか興味深いところです。前回の「朝が来た」によって設立された「日本女子大学」が、日本初の女性監督官第一号を産み出す母体であることも含め、hamachan先生に指摘は考えさせられるものがあります。
 ただ「古き良き日本型雇用」というのは保守側から見ても、違和感のある表現でしかありません。帰属意識を前提とした場合、職業訓練や能力の評価は二の次となり、卒業した学歴が最大の評価基準となるしかありません。「古き良き日本型雇用」は、そういう評価基準に支えられていたとみないと、職人等の縮小が「生産性の向上」という方向には向かわないと思います。

 東条英機首相の「家族制度崩壊」は南部家での「名誉殺人」抑止の教えや女性を守る事で男女分業を成立させていたことへの危惧とも読み取れるので、日本が女性を軽視していたとは思われません。女性をどのようにすれば良いかは時代と共に変わっていることだけは間違いない事実です。


「働く女子の運命」第二章 女房子供を養う賃金
 2 生活給を世界が批判  年齢と家族数で決まる賃金 P82

 賃金体系にその名を残す「電産」とは、正式には日本電気産業労働組合協議会。対する日本発送電及び各地域の配電会社で、後に地域ごとの電力会社に再編されます。急進的な電産が崩壊した後に確立したのが今の電力労連です。この電産が激しい交渉の末勝ち取ったの賃金体系の構造は図表3〜4(P82)の通りですが、その本質は生活保障給が七割近くを占め、それが年齢と扶養家族によって整然と規定されていたことにあります。
 このため生活保障を大前提とする賃金体系は、当時の労働組合の賃金要求活動に理論的根拠を与えるものとして、多くの組合に受け入れられました。

 図表3は、厚労省のモデル就業規則での賃金構成では家族給な部分は「家族手当」へと移行して本人給が基本給が職務給型へと変わってきているように思われます。「失われた20年」で中小零細は連合組合員と違い賃上げ(定期昇給)とは無縁でしたから、現実的にも「基本給(職務給)」へと向かうのは実態に合わせればそうならざるを得ないというところです。
 電力自由化がそのような「生活給」の賃金体系の破壊というのもなかなか複雑なものを感じます。


「働く女子の運命」第二章 女房子供を養う賃金
 4 労働組合は生活給が大好き  マル経で生活給を正当化 P105

 これは、戦時体制下の皇国勤労観に由来する生活給思想を、剰余価値理論に基づく「労働の再生産性費=労働力の価値」に対応した賃金制度として正当化しようとするものでした。

P108

 世間ではみんな賃金とは「労働の価格」だと思っているけれども、実はそうじゃなくて「労働力の価格」なんだと言うのです。

P109

「賃金は労働者が行う労働の質と量とに応じて支払わなければならぬ」というのは、マル経からすると間違いなのです。それは俗流経済学の間違った発想なのです。

P110

 逆に、いままで成人男子労働者に養ってもらっていた女房や子供たちが働きに出ると何にが起こるでしょうか? 家族総出で働いても労働力の再生産費はほとんどかわりませんから、それが家族の賃金で分割されるだけです。今まで亭主一人で月40万円稼いでいたのが、亭主は20万円、女房は10万円、子供二人はそれぞれ5万円で、合計は同じ40万円になるわけです。これをマル経では「労働力の価値分割」といいます。女性が労働力化すると労働力の価値が下がるのです。

 本書で一番頷いたのはここですね。マルクス経済学が如何に歪めてきたかが良く分ります。
 一分単位の残業代の支給について厳格に求めるのも「労働力の価格」基づいていることになります。また「おひとり様」のワーク・シェアリングや女性の労働力活用が、マルクス経済学に基づき「亭主400万円の生活から、亭主200万円、女房200万円が正しい。」とするのも「労働力の価値分割」により下々の女性の労働力の価値は下がるべき。徹底した女性蔑視をするマルクス経済学に基づく現代フェミニズムに恐怖すら抱きます。

「働く女子の運命」第二章 女房子供を養う賃金
 5 正体不明の「知的熟練」 「ジョブ」から「人」への大転換 P116

 1955年の『職務給の研究』では、「職務給が賃金合理化の北極星」であり、「職務給の行き詰まりを古き資格制、身分制の復活のみに切り替えることにより解決する如き逆コースの邪道は勿論、論外」とまで批判していたのですが、1960年前後から徐々に職能給への言及が増えていきます。それも1961年段階では、職務給への移行の暫定措置としては容認するものの、職務給に代わるものとしては否定していたのですが、1964年段階では、「職務遂行能力とは職務が要請する能力」だから職務の価値に照応しているのだといささか無理なこじつけで正当化を試みています。これがやがて「能力主義」という名の下に職務とは切り離された能力に基づく賃金制度として確立していくのですが、〜。

 ここを読みながら、この後のISO9000S等の国際規格導入において、『「職務遂行能力とは職務が要請する能力」だから職務の価値に照応しているのだといささか無理なこじつけで正当化を試みています。』は、既視感があるというかそのまま適用してきたんですね。
 ただ規格の「6.2.2力量、教育・訓練及び認識」での「評価」は「職務給のみ」では、反映できにくさも抱えていますし、就業規則の運用も同時に消極的になる様にも受け取れます。ここは実際に働く労働者に支持され難いので、教育・研修の拒絶も受けそうで悩ましいです。

第10章 教育・研修

(教育・研修)
第50条 会社は、従業員に対し、業務に必要な知識、技能を高め、資質の向上を図るため、必要な教育・研修を行う。
2 従業員は、会社から教育・研修を受講するよう指示された場合には、特段の事由がない限り指示された教育・研修を受けなければならない。

    
 職務を規定する「職の定義(基本給)」や職務遂行能力を規定または根拠とする法令等による資格「資格給(諸手当)」の評価と有効性の評価が、そのまま賃金増に結びつかない仕組みである「年功型賃金」では、確かに年齢と学歴以外賃金構成要因がなく、課長級以上への昇任試験でしか変わらないことになります。賃金構成要因と規格要求事項や就業規則で求める内容は独立したものではなく、重なり合うもののはずですが、なかなかそういうものには成りにくいのはなぜなんでしょうね。

 厚生労働省による労働安全衛生法等による資格や国土交通省による国家資格の取得は、年功・学歴に基づくものであり、現在それを拒絶して官民問わず受注をすることは出来ません。労働者に対する指揮命令権も労働安全衛生法等によっている以上、完全な職務給にするためには、霞ヶ関を消滅せざるを得ない話にまで飛躍しそうで、なかなか承服はできにくいです。

 ただ、「失われた20年」で建設業での整理解雇は、ジョブ型社会を前提にしたような動きでありました。勤続年数の長い者のを残し、勤続年数の短い者から解雇したのです。建設産業の高齢化は、勤続年数の長い者が有する資格と経歴の評価が受注を左右するというのが条件だったためです。別の産業へ移動した若年労働者の大半が介護や宅配便等の規制緩和業種へ向かったのも「経歴が無くともつける職」というのが、大前提です。問題は、規制緩和業種が「経歴の評価を放棄していた」ところなんでしょう。


「働く女子の運命」第三章 日本型男女平等のねじれ
 1 元婦人少年局長の嘆 P139

 すなわち日本の労働市場の原理、観光の特異性に由来する諸問題がそれである。
 終身雇用、年功賃金、企業内組合に代表されるわが国の雇用慣行のもとではも一般に婦人労働者は、男子労働者と同様に、安定した雇用、勤続年数に応じた昇給、良好な労使関係を享受できる---やや類型的にとらえすぎるにせよ---反面、他の工業国には見られない困難にさらされなくてはならないのである。

P141

 女子の再就職となると、問題は一層厳しくなる。終身雇用、年功賃金、企業内組合の原則で堅固に構築されている個別企業の閉鎖的な雇用管理体制の枠組みの中に、中途から正規のメンバーとして入り込もうとするのは不可能に近い。夫の死亡や離職という不測の事態に遭遇してあわてて再就職を求める女性、あるいは、子育ての時期を過ぎ、自己開発、能力発揮の意欲にもえて再就職を求める中年主婦たちにとって、その就業機会がいかに制限されているかは周知の事実である。多くの場合、それぞれの持っている資格やかっての就業の実績は生かされないまま、パートという名の臨時的労働者としての生活に甘んじなければならないのが実態である。<< 

 中小零細企業に就職した女性や配偶者が勤めていた企業が中小零細だとそういう傾向に陥りやすいと思います。公務員や大企業への勤務経験がある場合は、子会社への勤務のあっせんや官公庁での臨職または各種団体へのあっせんもありました。鉄道共済会等も含め不慮の事故で未亡人になった方達への職のあっせんはイメージとしてはやっている方だという認識がありました。
 規制緩和等で、キオスクを始め「コンビニへの転換」や各種団体廃止というのは、ご指摘されるような社会になると危惧はしていますが、それを「官から民へ」が受け止めれるとは思えないんですよね。


「働く女子の運命」第四章 均等世代から育休世代へ
 2 転勤と間接差別 転勤問題 P205

 この問題の背景にあるのは、『新しい労働社会』(岩波文庫)や『日本の雇用と労働法』(日経文庫)で繰り返し指摘した日本の正社員の雇用契約の無限定性、とりわけ場所的な無限定性です。これは、高度経済成長期に急激な技術革新に対応するために労働者側の合意の下に配置転換が大規模に進められたことが背景にありますが、日本の裁判所も累次の判決でこれを正当と認めてきました。欧米のジョブ型社会では勤務場所は契約の重要な要素のはずですが、日本では会社側の一方的な命令でいくらでも変えられるものと見なされてきたのです。

 現業部門である税務署職員や郵便局員などは、採用時にエリアが決められており別のエリアへの移動はなかなか認められません。民営化したかんぽ生命の社員は更に限定したエリアでの転勤となっているため、「限定正社員」といってもいいのだと思います。現実的には国家公務員や大企業でない限り、「限定正社員」は何も問題なく導入できそうに思います。ただ、地方分(主)権での「基礎自治体30万人」を進める方達にとっては、「限定正社員の限定される配置転換は拡大が可能」という解釈をしている可能性があります。最近もリフレ派の著作で「30万人都市」が日本を救う!」などは、エリアマネジメントとしては成立するかもしれませんが、そこで働く労働者に優しいとはとても感じられません。これは別に新しい概念でもなく、コンパクト・シティも含めた「集中と選択」の一形態です。都市中心部の土地の付加価値を高めるためには、人口を集中させて投資が無駄にならない様にする不動産投資業者のための理論であって、既存の居住者にとっては「復興だからここから出ていけ」というのとあまり変わらない強制移住論でもあります。職住近接論と含め紆余曲折になりそうです。


「働く女子の運命」第四章 均等世代から育休世代へ
 3 夫は「ワーク」、妻は「ライフ」の分業システム 
  女子は企業戦士になれるか P211

 私はかって「新しい労働社会」(岩波文庫)において、(皮肉を込めて)日本的フレクシキュリティと呼んだことがありますが、さらに皮肉を効かせるならば「日本的ワークライフバランス」と呼ぶことがもできるかも知れません。つまり、夫は「ワーク」に専念し、妻は「ライフ」に専念することによって、家庭としては見事にワークとライフのバランスが成り立っているのです。夫と妻のラークライフバランス分業こそが究極のワークライフバランスであるということです。そういう家庭という単位に生活給を支給する企業についても、これは日本的ファミリーフレンドリー企業というべきかも知れません。もちろん企業がフレンドリーな姿勢を示すフアミリーとは、このモデルに適合する男女分業家庭に限られるわけですが。
 そういうワークライフ分業が観が一般的であった時代には、職業と家庭の両立などという概念自体がナンセンスの極みだったのでしょう。

 「日本的ワークライフバランス」は、人口抑制政策を進める過程での男女分業による、妻は「ライフ」に専念することによって成立するというのが、庶民及び企業の考え方として一般的であったということですね。反リフレ政策及び反アベノミクスの方達の「男性の所得100%へ戻せば、雇用・経済等の問題が解決する」というのがあります。この考えで行くとhamachan先生の「ジョブ型社会」とは真っ向対立せざるを得ないことに成りそうです。

 「子を成せば職を失う」。人口抑制政策による「中絶」から「避妊」へと向かうのは女性としての予防措置でもあり、それを批判することは出来ません。マタニティという生物学的な要素への解について、hamachan先生はその問いについて、読者に投げかけております。大変難解な問いかけです。


「働く女子の運命」終章 日本型雇用と女子の運命
 P247

 この「福音」は、何をどこまでやれば成果を出したことになるのかが不明瞭なまま、無制限な長時間労働による成果競争の渦の中に女性を巻き込むものでもありました。そのような無理な競争に食らいついていけない女性たちは、差別のゆえではなく自らの主体的意志によってそこから降りることを余儀なくされます。
 そして、そういう日本的成果主義の世界はあたかも切り離された別世界のお話であるかのように、2000年代にはワークライフバランスの大合唱がわき起こり、ノーマルトラックとは区別されたマミートラックが作り出され、その両側に分断された女性たちがどちらも不満を募らせるという状況が進んでいるのが現在の姿と言えましょう。

 安価な労働力を女性に求め、それに応えた女性たちに限らず、男性も「既存の業種」から転職することを求められ、それに応えたのですが、この「福音」を維持するために、各種規定での「評価」で男性女性に限らず、作成した当人でさえ運用によって、指摘事項への対応からどんどん追い込まれていく「カイゼン」の魔力には恐ろしいものがあります。「福音」が厳格な戒律と成り果てていくさまは、イスラム原理主義の解釈を笑えない程、うすら寒い社会なんだと感じる次第です。
 

「ほとんど中身を読まずに書評なるものを書き散らすどこかの誰やらさん」の一人の感想です。