「虚ろの器」に満たす「虚ろなる闇」

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書)。井上智洋著

第5章  なぜ人工知能ベーシックインカムが必要なのか?
ベーシックインカムの優位性(P220)
ここで著者は、ベーシックインカム(BI)を「普遍主義的社会保障」であり、ミルトン・フリードマンの主張(理由を問わず扶助する)の実現である。と規定しています。
 そのため現在の社会保障制度(生活保護児童扶養手当・失業手当・年金など)は「選別主義的社会保障」であり、ベーシックインカムの導入により「そういった制度は不要になる」と断言し、既存の諸々の社会保障制度を廃止することができれば行政制度は気を食度に簡素化され、事務手続きや行政コストは大幅に削減される。としています。
 ただ著者は「貧困者支援」「障害者支援」については、ベーシックインカム導入後も制度を維持すべきとしており、以前から指摘されていた「切り捨てベーシックインカム」とは少し弱められた考え方です。
 行政効率の問題ではなく、負担をしている階層にとっては「負担だけ」という不満と「受給者は負担が無い・少ない」という不満からくるものです。「全ての人が対象」とは、そういう不満が本音でしょう。それを「普遍的」と言う経済学者の思考がズレているとは感じます。
 ベーシックインカムへの期待が強まった背景に、ITエンジニア系のキャリアクライシス(IT土方と卑下したり、長時間労働による離職等)が、あります。
建設業の「土方」と違いIT土方(エンジニア)は、高専・専門・大卒等で報酬は高めではありますが、社会保障の恩恵が少ないと考えている方達が大変多かったのがあります。そのため、IT系は既存の社会保障制度に対して極めて批判的であり、その代替制度としてベーシックインカムに希望を見出したのです。

財源が問題でない理由(P223)
「財源は限られている」という言い方に対しては「財源は限られておらず増税すれば良いだけ(赤字国債を財源にすることも不況時にはむしろ有益で在り得ます)。国民生活を向上させる政策であれば増税してでも実施すべきです。」としています。
リフレ派=「増税忌避派」とは一線を画する発言です。一部のリフレ派はベーシックインカムと聞くだけで、狂喜乱舞しますが現実的なことは何も言えないのが常です。また、リフレ派の「給付金国民一人当たり100万円」に対しても冷ややかで、むしろ冷静に見ていることが伺えます。
「大きすぎる変化は国民生活に予期せぬ影響をもたらす可能性があります。BIの導入にあたっても、給付額を一人あたり月1万円から徐々に増やしていくことなど変化が斬新になるようにすべきでしょう。突然月40万円も給付したら、たちどころにハイパーインフレが起きて経済が破綻してしまうかもしれません。」
財政政策の制度設計の変更は急激では「マインド転換」は単なる混乱になってしまいます。コミットメントやシグナリングは緩やかであるべきです。以前の「統合政府債権債務対消滅理論」からすれば、穏当な経済学者と言える考え方と、野心的な部分を感じさせますが、リフレ派の経済学者(飯田泰之とか)の今までの痛いまでの発言からすれば穏当と言えるかもしれません。

「つまるところ、BIの給付額を極度のインフレが起きない程度に留める必要があります。
適切なインフレ率は一般に2〜3%程度と言われています。」
「1人月7万円という給付=全国民の給付総額は年間で100兆円ほどになります。それを所得税・消費税などの税収でまかなうものと想定しましょう。」
「注目すべきなのは、単なる増税額ではなく、増税額と給付額の差引です。「給付額−増税額」がプラスであれば純受益が、マイナスであれば純負担が個々人に発生します。この差し引き額を全国民で平均すると、理屈の上ではゼロとなります。要するに、国民全体にとっては損も得も生じないということです。」

既存の財政政策も基本はこの考え方です。単年度会計で歳入を歳出するとは本来そういうものです。ただ、現在のように複雑で複数年度に渡る制度設計や運営をするために中々そのように見えにくくなっているのも事実です。単純に「見える化」するには良いかもしれませんが、それは「見える化」の代償として「税負担の増額(痛みを伴う改革)」が避けられないということでもあります。ベーシックインカムを導入するためには、著者の指摘する通り、「所得税・消費税」を増税するしかありません。スティグリッツ教授の「炭素税」なども同様の考え方です。

「一国を一個人や一企業に置き換えて考えないように注意してください。一個人が使ったお金はその個人から消えてなくなりますが、国全体から消えてなくなるわけではありません。その点を踏まえないと、BIの持つ効率性を理解することはできません。」

リフレ派が「消費税増税ガー」「増税は緊縮財政」と言いますが、著者が指摘する「国全体から消えてなくなる」と考えているわけですから、「費用対効果ガー」「効率ガー」とリフレ派が言うのは馬鹿丸出しということになります。つまり、マクロ経済で見ていないと吐露しているのです。「世界標準のマクロ経済学」というのはリフレ派の常套句ではありましたが、なんのことはない「納税すると国全体から金が消滅す」と言ってたのです。

ベーシックインカムの試算(P227)
リフレ派(日銀委員)である原田泰氏の著書「ベーシック・インカム」を参考に、基礎年金・児童手当・雇用保険生活保護・中小企業対策費・公共事業予算・農林水産業費をベーシックインカムの財源とする「切り捨てベーシックインカム」を踏襲しています。この考えでは、日本人の所得250兆円に対し、所得税25%で64兆円を捻出するとしています。
リフレ派を始めとして経済学者など、復興特別所得税2.1%で、大騒ぎするような方達に現在の10%の2.5倍の税率ではそのまま死んでしまうかもしれません(苦笑)。
飯田泰之は実質的な増税とする「控除全廃」である「課税ベース拡大」の所得税・住民税大増税を主張するのです。リフレ派は「増税は緊縮財政」と言い、消費税増税を主張する方達を「デフレ派」「緊縮派」とレッテル貼りをするのですが、増税規模の壮大なことからもリフレ派や経済学者の大半が「大増税派」であることになります。

純粋機械化経済におけるベーシックインカム(P232)
2ちゃんねる「遠い未来には、機械に労働させて、人間はBIで暮らすようになるのかな」を紹介するのは、さすがにどうかと思いました。

「財源はさしあたり、所得税、消費税、相続税法人税のいずれでも構いません。」
「税額の増大に合わせて給付額を増やしていくこともできます。月7万円などというしみったれた額に留めておく必要はありません。もし、所得の一定率、例えば25%をBIにあてるというルールを採用した場合、経済成長率と同じような率でBIの額は増大していくことになります。」

リフレ派は「おちんぎん(低賃金)を上げるのはコミンテルンの陰謀」と断言しました。飯田泰之は「(賃上げのせいで)民間投資がクラウディング・アウト」をしていると参議院で発言しました。マクロ経済学における「価格転嫁」では賃金並びに法人税等が価格に含まれるため、賃金等が上がれば価格が上がり最終的には物価が上がることになっています。日本の場合はこの「価格転嫁」機能が停止しているため物価上昇は起きにくくなっています。賃金の下方硬直性は「価格転嫁」が機能している状態では起きにくいものですが、日米貿易摩擦等による輸入拡大のさいに「高い国内農水産物・国内製品を消費者は買わされている」キャンペーンを経済団体やメディア等が総がかりで行った弊害がこの「失われた20年」のデフレ不況の要因と成っています。「価格は下がること正しく、上がるのは消費者に対する悪い行為である」という刷り込みの怖さです。
ベーシックインカムを行いその「経済成長率」によるBIの増大に対処するという考え方は、同じくリフレ派の浜田御大や良くする御大の「消費税毎年1%刻みでの増税」と同様の考えであり、リフレ派が批判してやまない財務省主計局の考えそのものです。

それにしても財源論で法人税は無理でしょう。田中秀臣は「リフレ政策は金融政策が9割。財政政策は1割。唯一の財政政策は法人税減税。」と政策の幅を無くすことを提言しましたから、リフレ政策は行き詰まってしまいました。ベーシックインカムの財源に法人税は絶対に無理です。リフレ政策の否定となってしまいます。当然、統合政府理論も消滅です。
また相続税はリフレ派三菱の片岡が提言していた「毎年10兆円課税」では財源が足りません。個人金融資産のみならず法人金融資産にも課税をするのなら出来るかもしれません。大半は発狂するでしょうね。リフレ派の眷属の財源論はどうしてもザルになりがちです。
この著者や原田泰の所得税25%論は、住民税が欠落しているためとても議論の俎上に載せられるものではありません。飯田泰之の控除廃止論に至っては、所得税・住民税のW増税ということをどのように納税者に納得させるかです。
それにしてもベーシックインカムの財源は毎年所得増が前提でありながら「賃上げ=所得増」を批判したリフレ派の「給付金ガー」が、素晴らしい「思考の型」を推奨する方に刷り込まれたかと思うと経済学部の将来に暗澹たるものを感じざるを得ません。
それにしてもリフレ派のベーシックインカムは「人間は虚ろな器である」ということがベースであるというのは人工知能(AI)をどのように見ているかが良く表しているということだけであった。

肉体とは魂の器に過ぎない。
魂という暴君の傀儡(くぐつ)でしかない。
しかし、肉体は永遠の存在を許されてはいない。
日々、塵に帰さぬために
他の肉を喰らい続けねばならないのだ。
それゆえ、魂は
他人を欺き、貶め、殺すのである。

A.J.Durai