付加価値税と賃金と労働者 その4

付加価値税は労働者を正規・非正規に分断するのか

 建設業を含め日本の産業構造は大企業(上場企業)を頂点として、重層的構造になっていることが多いことで知られています。コンサルからは水平展開・垂直展開など様々な提案がなされるのですが、どれもメリット・デメリットがありますのでどれが正解だとは決められません。重層下請け構造解消として、3次下請けまでに制限する話もありますが、付加価値税への対応を考えると、どこが主体となって労働供給を行うのかが、課題となります。

 単純労働は禁止されている産業でもあり、技術者又は技能資格を有することが大前提で、ゼネコンなどの大企業は管理部門に特化した経営のため、現場労働者を供給するのは3次下請け以下の業者になっているのです。それを断ち切るということは、3次下請けに派遣会社又は派遣業務資格を有する建設業者しか残らないことになります。もともとの労務外注費や外注費の割合が7割と付加価値税対策へのシフトも含め労働者を分断することが生存戦略であると感じるところではあります。そうすると、連合の存在は労働者分断を至上命題としている組織であることになります。これは遅れているというより、凄まじく新自由主義的性質に特化しているように中小零細企業としては見てしまいますね。

 「分厚い中間層」は中小零細企業並びに自営業者が食える社会であるという感覚ですが、ある政党の「分厚い中間層」とは「(新)分厚い中間層」で、既存の中小零細企業並びに自営業者を淘汰した後、新規起業者、個人請負型就業者を指すというイメージしか浮かびません。

 労働貴族と化す連合組合員(正社員)以外は「個人請負型就業者」が占める社会構造を夢想しているとしか受け取れないのです。付加価値税増税並びに節税行動が、新自由主義とでは、受け取り方がこれほど違うのかという思いです

 「個人請負型就業者」には日本人だけではなく、外国人労働者が含まれる。つまりこれが「ダイバーシティ(多様性)」で「共生社会」だということになります。リベラルな方達の怖さというか、本性の悪辣さはどうにかならないものでしょうか。頭が痛いです。

 年功型賃金を守るために、徹底してそれ以外を破壊するそれが「連合」ということになりますが、ジョブ型雇用契約社会では「個人請負型就業者」はその職を得るための学歴・経験・実績が無い人がそれを得るための通過点と見るべきですが、年功型賃金社会では、それは職の固定化という定義なのかも知れません。

連合組合員「年功型賃金を守る為に、自分達以外は、ステップアップはさせない。」

 職務給によって、外部人材が入り込んでくることへの防衛措置として、年功型賃金は死守されなければならない。その結果として、「ダイバーシティ(多様性)は儲かる」「共生社会は素晴らしい」のかもしれませんが、そんな社会には住みたくないので、「(新)分厚い中間層」を唱える政党と支持者は政治の世界から消えてもらいたいものです。

 大企業労働者にとっても、付加価値税(消費税)がその重層構造に対し有効かつ効率的に課税されるがゆえに最終納税者となる宿命を帯びているところが反発される理由だと考えられます。上場企業や非上場大企業はその仕組みゆえに売上を落すことができにくく、かつ利益も落ちにくい、また、高所得な社員の給料・賞与を落すことは出来にくいのです。

 つまり国(財務省)は、上場企業や非上場大企業の経営者及び労働者の心理・行動を理解した上で付加価値税(消費税)へと課税をシフトしています。納税額の8割を上場企業や非上場大企業が納付する構造が揺るがないため、企業側がM&Aにより大きくなればなるほどその規模の宿命から安定財源としての重みを増すのです。そのため労働者が、分断したとしてもそのツケは国(財務省)が回収するのです。

次は、付加価値税と配当と株主の行動です。

※追記

 日本における構造改革である「働き方改革」を考えるうえで、付加価値税と日本型雇用(年功型賃金)は相性が悪いと感じています。欧米では標準であるジョブ型雇用契約労働組合の交渉能力を保全しつつ、その成果を取り込むことができるのに、日本の労働組合及び労働学者の考え方は、失う事ばかりをしているということです。

 マシナリさんや海老原 嗣生氏のように、日本型雇用とジョブ型雇用の折衷という現実的対応を考えて貰う人はかなり少数であることからも、今後も日本では賃金が上がることよりも、下がることが生産性を高める流れを止めそうにない印象を受けざるを得ない状況です。

 新自由主義型への親和性は、日本型雇用契約(年功型賃金)のほうが強いとも言える印象があります。これは、大企業労働者(連合組合員)や共産党労働組合員は真逆の考えを持っているかもしれませんが、中小零細企業側から見た場合、年功型賃金を維持するがゆえに、元下関係、発注者・受注者等の関係は、新自由主義的な手法での要求事項によって達せられた利益を移転出来ていると考えられるからです。つまり、賃金デフレを推進したきたのは、労働組合員そのものとなるのです。
 これを認めたくないからこさ政権批判に終始する行動をとっているようにしか見えないのです。