聖なる怪物たち

平成26年税制改正に関する提言」の解説(抜粋)

取り返しのつかないリスク孕む先送り論

 そこで、2014年4月の8%への引き上げスケジュールについて巻き起こった先送り論にも触れておかねばなりません。消費増税は景気回復の腰を折りデフレ脱却の大きな障害になるため、デフレ脱却後に実施すべきだとする主張です。その論拠として挙げられたのが、1997年秋に発生した金融危機です。つまり、同年4月に消費税を5%に引き上げたことが、金融危機の主因になったとの説です。

 これに対し、予定通りの引き上げを実施すべきとの考えの論拠はこうです。確かに消費増税は経済に負荷を与えますが、その影響は一時的にとどまるとする見方です。実際、1997年の引き上げ時には駆け込み需要とその反動が発生しましたが、当時の経済指標は増税の影響がほぼ3カ月でなくなったことを示しています。このため、金融危機の主因は当時のアジア通貨危機と、翌年に金融ビッグバンを控えた不良債権問題の顕在化にあったというのが、マクロ経済学者たちの支配的な分析です。

 さらに、引き上げ実施リスクと先送りリスクを比べると、大きな違いがあります。増税による経済への負荷は金融政策や財政政策で軽減可能ですが、増税先送りによって財政への信認が崩壊し金利が急上昇した場合、対応が極めて困難になるからです。金利は短期ならまだしも長期は市場で決定されるため、日銀の金融政策ではほとんどコントロールできません。
 仮に長期金利の上昇を抑えるために、日銀が国債を際限なく買い入れるとなれば、市場の火に油を注ぐ結果となるでしょう。そして企業の設備投資は言うに及ばす、株も円も暴落しアベノミクスどころではなくなります。これを財政で支えるとしたら、それこそ国家破綻という取り返しのつかないリスクを孕んでいるわけです。

マレーシアが消費税導入へ 15年4月から税率6% - MSN産経ニュース

 マレーシアのナジブ首相は25日、財政再建のため、日本の消費税に相当する「物品サービス税」を2015年4月から導入することを明らかにした。税率は6%を予定している。財政の立て直しに向けて砂糖の補助金も削減する。同日の予算演説で語った。
 マレーシアはこれまでも工業品やぜいたく品を対象にした売上税や、レストランやホテルなどのサービス税として6〜10%を課していた。これを物品サービス税に一本化し、生活必需品も含めて幅広く課税する。 政府は物品サービス税を04年に初めて提案。しかし国民の反発は強く、導入延期を余儀なくされてきた。
(共同)

 TPP推進と財政再建と言う理由によるVAT(消費税に相当する「物品サービス税」)に代替する。これが国際社会による合意事項。リフレ派の言う「財務省陰謀論」=「予算利権の拡大」とかが的外れな理由。新自由主義的経済発展をして日本からも富裕層が移住するなど様々に宣伝する国であっても現実的な経済政策として、国内の産業政策(格差是正)との整合性を執り行う。でもリフレ派は華麗に無視。

 「リフレ派は一体ではない」「一体、リフレ派とはなんだったのか」と言われますが、きわめてスピリチュアルな人達の集合体だったのではないかと考えてきています。

 ネオリベ・金融資本主義等の傾向が強い方達が読む本がスピリチュアルな『ザ・シークレット「引き寄せの法則」』の系列本とモデル・道端カレン(田中秀臣・上念司)本とも関係が深いのは興味深いところです。

 また、リベサヨ・エコ・ロハス・環境金融資本主義等の傾向が強い方達が読む本も重なりつつ、「ゲゼル通貨」「聖なる経済学」等の別のスピリチュアルな面に落ちていく傾向にあるのが見て取れます。

 陰謀論的かつスピリチュアルなものに対する親和性の高さは「意識・知識等」が高いほど感化されやすい傾向と言っても良いのでしょう。

「聖なる経済学」

インフレーション

 富の再分配の最後の手段がインフレーションである。一見するとインフレーションは隠れた形式による債務の一部無効化である。なぜならば、ローンが組まれたときよりも価値の下がった通貨によって債務を支払うことが容認されるからである。それは時間とともにマネーの価値と債務の価値のどちらをも等しく減じる力なのである。しかしながら、話はそう単純ではない。一つには、インフレーションには通常利率の上昇が伴うからである。金融当局は「インフレと闘うために」利率を引き上げるし、潜在的な貸し主は、インフレ率より低い利率でマネーを貸し出すよりも、インフレ防衛手段になる商品に投資するからだ。[原註12]
 
 標準的な経済学では、インフレーションは、対応する商品供給の増加をともなわないでマネーサプライが増加した結果であると説明する。それでは、どうやってマネーサプライを増加させるのか? 2008−2009年に、 FRBは利率をほとんどゼロにまで切り下げた。そしてどんなインフレーションも引き起こすことなく、マネタリーベースを途方もなく増加させた。それは、銀行が、本来マネーを使う個人や産業に貸し出しを増やさなかったからだ。その代わりに、新しいマネーの全部が、過剰な銀行準備金や株式市場に注ぎ込まれた。そのために2009年3月から8月にかけて株価は上昇した。[原註13]

 信用力のある借り手と経済成長が不在のままでは、低い利率が貸出を刺激しないことは驚くにはあたらない。たとえ FRBがどれほど市場で国債を買い、マネタリーベースを10倍に増やしても、インフレーションは起こらないだろう。インフレーションを起こすためには、マネーがそれを使う人の手に渡らなければならない。誰も使うことがないマネーは、それでもマネーと言えるだろうか? 守銭奴が穴に埋めて忘れてしまったマネーは、マネーでいられるだろうか?[原註14]
 私たちのニュートンデカルト的な直感はマネーをモノと見なすが、実際には、マネーとは関係性なのだ。マネーが少数の手に集中するとき、私たちの関係性はより希薄になり、人生を維持し富ませるものとの繋がりも薄れていく。

 FRBの救済融資( bailout)プログラムは、ほとんどのマネーを銀行の手に渡し、マネーはそこに留まってしまった。経済的な景気後退の時に、消費する人々の手にマネーを届けるためには、「より多くの生産をする者にだけマネーを与えるべきだ」という信条を持つ創造プロセスである個人信用をバイパスする必要がある。その主なやり方は、財政上の刺激策、政府支出である。そのような支出は確かに潜在的にはインフレーションに親和する。
 
インフレーションがなぜ悪いのか? 値段が上がるのを見るのが好きな人はいないだろう。しかし、もしも収入もそれと同調して上がるのなら、何が不都合なのだろうか?
 
 不都合を被るのは、蓄えを持っている人々だけなのだ。債務を負っている人にとっては、実際には利益になるのだ。普通の人々が恐れるのは、収入インフレを伴わない価格インフレなのだ。もし、価格と収入の両方が上昇すれば、インフレーションは本質的に遊んでいるマネーへの課税になる。富裕層から取り上げる再分配であり、利息の効果の反対の作用をもたらす。[原註15] 後にマイナス金利のマネーシステムを考察するとき、再びこのインフレーションの好ましい側面を検討しよう。

 標準理論では、政府は課税と赤字国債発行による赤字財政支出の両方を通じて、インフレ的な支出をすることができるとされている。なぜ tax-funded 支出がインフレを起こすのだろうか ? 結局は、それはまさに、ある人々からマネーを取り上げ、他の人々に与えるからだ。それは、金持ちから取り上げて、すぐに使ってしまう貧しい人々に与えるときに限って、インフレーションになるのだ。同じように By the same token、赤字財政支出は、たとえば大銀行のような使わないところにではなく、使うところにマネーが行くときにだけ、インフレーションになるのだ。どちらの場合でも、インフレーションは、富の再分配を達成する手段というよりは、再分配の結果または兆候なのである。[原註16]

 そうすると、インフレーションはより基本的な富の再分配と切り離して観察することはできない。政治的保守主義が伝統的に富裕層の守護者であり、熱烈な "deficit hawks."であることは偶然ではない。彼らは赤字財政支出に反対する。それはマネーを持っている者にではなく、持つべき者に与える傾向があるからである。そのことに失敗しひとたび赤字財政支出が行われると、彼らは財政削減、利率引き上げ、公的債務の支払いを議論する。それは、本質的には反対方向の富の再分配なのである。インフレーションの恐ろしさを訴えて、まだ実際のインフレーションの兆候がどこにも見当たらない時から議論を仕掛けるのだ。

 原理的には、主権通貨を持つどんな政府も、課税することなく、ただ印刷したり中央銀行にゼロ金利国債を買わせることで無制限のマネーを創り出せる。そう、そうすればインフレになるだろう。収入と物価は上がり、蓄えられた富の総体的価値は低下する。これと反対の、マネーを創るために利息つき国債を使うという政府の行動が、私たちのマネーシステムの性質を測るキーになる指針である。ここに、政府権力のまさに中心に、マネーを持つ者へ貢ぐ行為が現れているのだ。

 なぜ、主権作用である通貨発行のために、政府は富裕層に利息を支払わなければならないのか? 古代から、貨幣の鋳造発行権は、社会権力の位置を確立する、聖なるもの、あるいは政治的機能だと考えられてきた。今日、その権力がどこにあるのかは明瞭である。「国家のマネー発行とそのコントロールを渡しにやらせてほしい。そして私はその法律を作る人々を関知しない。」とメイヤー・ロスチャイルドは語っている。今日、マネーはプライベートな富に仕えている。それこそがまさに、高利貸しの根本原理なのだ。だが、高利貸しの時代は終わろうとしている。まもなく、マネーは別の主人に仕えるに違いない。

お前の得は俺の損

 今日とても広まっている強欲、競争、不安のシステミックな原因は、いくつかのニューエイジの教えと対立している。私には、いつもこんな言葉が伝わってきている。「マネーはエネルギーの一形態にすぎません」つまり「ただ豊穣さの態度を身につけるだけで、誰でも金銭的に豊かになれます。」ニューエイジの教師たちが「欠乏の心理を脱ぎ捨てるために」「豊穣さの流れを開くために」、「私たちがマネーに抱いている限られた信念を解放せよ」あるいは、積極思考のパワーで金持ちになろう、などと言うときに、彼らは重要な問題を無視している。彼らの思想は価値ある源から流れ出ている。私たちの世界の欠乏は、私たちの集合的な信念が作りだしたもので、根本的な現実ではないう認識である。しかしながら、彼らは生得的に今日の私たちのマネーシステムとは調和しない。これを巧みに表現した例を、リン・ツイストの「 The Soul of Money 」から引用しよう。


 マネーそれ自体は良くも悪くもない。マネーそれ自体はどんな力も持ってはいない。私たちのマネーの解釈、私たちとマネーの相互作用に、本当の間違いがあるのだ。そして、そこに私たちは自己発見と個人の変容の本当の機会を見出すのだ。[原註17]

 リン・ツイストは空想的な博愛主義者で、多くの人々に良い目的のためにマネーを使うことを鼓舞してきた。しかし、このような言葉が困窮してマネーを必要としている人々の耳にどのように響くか、あなたは想像できるだろうか? 私が2年前に破産( I was broke)したとき、スピリチュアルな友人たちが善意から口にした、私の問題は「欠乏の態度にある」という言葉を苛立たしく感じたことを憶えている。ラトヴィアやギリシャなど一国全体の経済が崩壊し、数百万人が破産に追い込まれる時に、それを全部彼らの態度のせいにするべきだろうか? 貧しく空腹な子供たちがやることについて、それを欠乏の心理のせいにできるだろうか? 

 その本の後半で、ツイストは有害な欠乏の態度を次のように描いている。「それは子供がやる椅子取りゲームのようなものだ。遊んでいるメンバーよりも椅子は一つ少ないのだ。あなたの関心は、奪い合いが終わったときに椅子を失わないことに集中しているのだ。」[原註18]
 
 しかし、私が書いたように、マネーシステムは、まさに気違いじみた奪い合いで必ず脱落者を生み出す椅子取りゲームなのだ。しかしながら、深いレベルではツイストは正しい。マネーシステムが私たちの欠乏の態度、それもより深い根を持つ、私が  自己の物語と世界の物語 Story of Self and Story of the Worldと呼ぶ、私たちの文明の基礎的な神話とイデオロギーが生み出したものであるという限りにおいて、彼女は正しい。しかし、私たちはマネーについての態度だけを変えることはできない。私たちはマネーそのものを変えなければならない。マネーとは、結局は私たちの態度が具現化したものなのだから。究極的には、自己を形作る work on ことは、世界との関係work inから切り離すことはできない。それぞれが相互に映し出すのだ。それぞれが相互に媒体となるのだ。私たちが自分自身を変えれば、私たちの価値観と行動も変化する。私たちが世界に働きかける work inとき、私たちは効果のないことに直面しまたは奉仕させられる we must face or be rendered ineffectiveという内面の問題が生起する。このようにして、私たちはスピリチュアルな次元で、アンドリュー・ハヴェイが「神聖な行動主義 Sacred Activism」と呼ぶ、惑星的な危機を感じ取る。

 今日のマネーシステムは、私たちの文明を数世紀に渡って支配している欠乏の心理が表出したものだ。この心理が変わるとき、マネーシステムも新しい意識を具現して変化するだろう。現在のマネーシステムでは、マネー創造のプロセスがシステム的な欠乏を維持するために、数学的に、少数の人々しか豊かに生きることができない。誰かが豊かであることは、すなわち別の誰かが貧困であることなのだ。

 「繁栄のプログラム」の原則の一つは、誰かが貧しくなるときにだけ、自分が豊かになれるという信念、自分の利得は他者の損失であるという罪の意識を解放することである。問題なのは、今日のマネーシステムでは、それが正しいことだ!私が儲ければあなたが損するのである。マネー化された領域は、自然、文化、健康、そしてスピリットを対価にして成長する。私たちがマネーに感じ取る罪悪感は、まったく正しいのだ。たしかに、マネーを使って美しいものや価値のある組織、そして高貴な運動 causesを作り出すことができる。しかし、もしこれらの目的を心に抱きながらマネーを稼ごうとすると、いくつかのレベルで、ポールに払うためにペーターから奪うことになってしまう。
 
 どうか、私が読者に豊饒の流れを開くのを思い止まらせているとは思わないでいただきたい。その反対に、十分に多くの人々がそれを行えば、マネーシステムは新しい信念に一致するように変化することだろう。今日のマネーシステムは、分離感 Separationの土台の上に築かれている。それは、私たちが宇宙という他者 Otherの中での、離散し分離した対象であるという知覚が引き起こした効果なのである。私たちがこのアイデンティティーを手放し、本当の、結びついた存在の豊かさに心を開くときに、豊饒さを開くことができる。この新しいアイデンティティーには、高利貸しが存在する余地はない。

 ここに、「繁栄のプログラム」と、そして間接的に現在のマネーシステムの欠陥を描いている極端な例がある。数年前に、ある女性が私に「ギフティング」と呼ばれるとても特殊な組織を紹介してくれた。彼女もその一員だった。そのやり方は、基本的に、最初にあなたが紹介者に1万ドルを「贈る」。それから、今度はあなたに1万ドルを「贈ってくれる」人を4人見つけ出してくる。その4人もまた、それそれギフトのコンセプトをひっさげて、1万ドルを「贈ってくれる」人を見つけ出してくる。
 
 誰もが、最後には3万ドルを手に入れることになる。プログラムの広告文はこれを普遍的な豊饒さの表出だと説明していた。必要とされるのは、成長志向の態度だ。言うまでもなく私はこの子供じみた話を辞退した。私は女性に「でも、あなたは友人からお金を取り上げているんじゃないですか?」と尋ねてみた。
「違うわ」彼女は答えた。「だって、ギフティングの原理をちゃんと信じていれば、みんな最後には3万ドルが手にはいるのよ。」
 「でも、みんさんは、やはりそれぞれの友人からお金を取るわけでしょう。そうしていったら、一番最後の人は1万ドルを失うだけですよ。あなたがたは、結局は最後の人からお金を取るんです。ギフティングと言ったって、それは盗みですよ。」

 その後その女性から連絡が絶えたと聞いて、あなたは驚くかもしれない。彼女の憤りと否定は、マネーシステム全体の受益者のそれを映し出している。マネーシステムは彼女のピラミダルなスキームに類似した構造をはらんでいるのだ。1万ドルの入会金は、事実上は利息を生む債務として作り出されたのだと想像してみよう。あなたは、たくさんの入会者を見つけ出さなければならなくなる。そうしないと、資産を失ってしまうのだから。

 スキームの”底”にいる人が貧困を免れられる唯一の方法は、さらに多くの人々をマネー経済に引き入れることなのだ。たとえば、植民地化 colonization-ahemを通じて、「自由貿易に新しいマーケットを開く」そして経済成長。そうやって関係性、文化、自然などをマネーに変換していく。これは必然を遅らせる This delays the inevitable そして富の二極化の増大は避けられず、成長が鈍化すれば醜い頭が生えてくる。 rears its ugly head whenever growth slows.  債務の重荷を押しつけられたまま取り残された人々には、それを支払う方法はもうない。マネーを取りあげられる人もいないし、マネーに変換できるものも残っていない。これから見ていくように、これが、私たちの文明が直面している経済的、社会的、環境的危機の根底にあることなのである。

[1]この章の利息の検討とは直接関係しないために、私は、銀行の貸出能力の拡大を制限する margin reserve requirements, capital requirements, などについて意図的に触れないでおいた。
[2]実際、借金不払のよる法廷からの呼び出しに気付かずに監禁されることが、米国のいくつかの州で密かに再開されている。 ホワイト( 「アメリカの新しい債務者刑務所 "America's New Debtor Prison."」 )を参照のこと。
[3]これら負債ベースの資産がジャンクであり負債は決して返済されないにもかかわらず、当局はこの事実をひた隠し、額面を維持するのに必死である。
[4]実際には利息はこのような”コンポーネント”からは構成されていない。これは分析をする上での便宜である。しかし、それは措いておくことにしよう。ほとんどの通貨当局は、3または5つの利息の要素を掲げている。私は、ここで利息の定義を議論するつもりはなく、読者にご自分で調べていただきたいが、 ゼロリスク金利プレミアム だけは言及しておきたい。それは本質的にゼロリスクで完全な流動性を持つアメリ財務省短期証券( T-bills)の利率と等しく設定されている。そこにもリスクが存在するという意見もあるだろう。しかし、アメリカ政府がマネーを印刷できなくなる時が来れば、どんなクラスの資産も安全ではなくなるのだ。
[5]利率を成長率よりも高く維持する新しい手段が、銀行準備金の利息を決定( offer)するFRB の権限である。 FRBは、経済が成長を始めれば現在のゼロに近い利率を引き上げようと計画している(たとえば Keister and McAndrews, "Why Are Banks Holding So Many Excess Reserves?"を見よ)。これによって、経済成長を通じて生み出される新しい富が、 FRB流動性機能liquidity facility の恩恵を受ける銀行と社債権者の利益になることが確実だろう。
[6]リスクフリーのカテゴリーに入る投資が、政府が支えることを決定したあらゆる種類の金融ジャンクに拡がっているために、最近では更に悪化している。リスクを抱える金融機関のソルベンシーを確保するために、政府はマネーを持つことのリスクフリーな報酬を顕著に増加させ、富の集中を加速させた。もはやフェデラルファンズの利率やアメリ財務省短期証券の利率はリスクフリーな利率のベンチマークにはならない。金融機関が「大きすぎて潰せない」という文脈から現れてきたモラル・ハザードという観念は、決してモラルの問題ではないのだ。リスキーな時には、利率の高い賭け betsは実際にはリスキーではない。これらの賭けに使われるマネーによって、富は他の何物よりも早く(そして他の全てのものの犠牲の上に)増大する。モラル・ハザードは、富を著しく集中させるショートカットなのである。
[7]富んでいる者へマネーを渡せば、投資の増大、雇用の増加、そして誰にとっても繁栄に繋がるという保守的な議論は、投資資本から得られる率がリスクフリーの金融投資の大方の率を超過するという条件の下でのみ成り立つのである。再配分がないままの容赦ない富の集中は、そのような環境が稀であることを物語っている。そして、私たちがこのまま not extinct成長の限界に近づくにつれて、そのような環境はさらに稀になることだろう。
[8]それ以上に、学生ローンや税債務など、いくつかの種類の債務は、破産によっても免除されない。
[9]2010年のアメリカの住宅ローン管理危機 documentation crisisに、このような綻びの兆候が現れている。そこでは、住宅ローンを構成する合意のクモの巣が問題になった。住宅ローンは細かく細分化されているので、誰が資産を所有しているのかを証明するのは難しい。契約、放棄、規制、ドキュメントの集積は、それ自信の複雑さのために崩れ始めた。
[10]世界銀行の政策が輸出作物にだけ農業ローンを認めているのは偶然ではない。自国内で消費される農作物は外貨を稼ぎ出さないので、ローンの支払いには役立たないからだ。
[11]この章を書いてから、地震による窮状に世界中の同情が集まって、ハイチの外国債務は取り消された。いまや、同国は収入と、更新された債務の基礎になる担保の完璧な標的となる資産から解放されている uncommitted。
[12]それ以上に、今日の多くのローンは変動金利になっており、それはしばしばインフレーションに指標づけられている(いまや、インフレ指標の長期国債 treasury bondsもある。
[13]それ以上に、今日の多くのローンは変動金利になっており、それはしばしばインフレーションに指標づけられている(いまや、インフレ指標の長期国債 treasury bondsもある。
[14]経済学者たちは、この問題を「マネーの流通速度」の観念で扱おうとしている。補遺で説明しているように、詳細に検討すれば、マネーサプライとマネーの流通速度の区別はできなくなる。
[15]インフレーションには、「メニューコスト」(価格を変更し続ける必要性から名付けられた)、会計の困難さ、その他のいくつかのマイナスの効果がある。商品の持越費用 carry costを上回るような、とても高いインフレーションの場合には、買いだめが起こり得る。このような考察は、マイナス金利のマネーシステムを思い描く上で役に立つ。
[16]富の再分配を原因としない唯一の種類のインフレーションは、戦争や通商禁止によって引き起こされる商品の不足から生じる。このシナリオでは、時にはハイパーインフレーションに導かれていく。富裕層はインフレーションの影響を受けにくい商品を買いだめるので、平準化の効果はない。
[17]ツイスト、19ページ
[18]同書49ページ

ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」ナオミ・クライン

チャールズ・アイゼンシュタイン、ビル・マッキベン、ジェレミー・リフキン、ミーガン・クイン・バックマン

「ウォール街を占拠せよ」OCCUPY (オキュパイ)

 OCCUPY (オキュパイ)運動には、リベサヨ的な経済学者やスピリチュアルなカリスマによる扇動が強く感じられますね。日本においてもリフレ派(社会学者)が「オキュパイ日銀」などというものを扇動したりして、「脱原発」もまたオキュパイ運動の一環のようにしていました。
 ネオリベ・リベサヨはその言い回しは違っても、根底に流れるものは同じであるため、「311地震兵器」説・「TPP=ショック・ドクトリン」説・「1997消費税自殺者」説・「フクシマ死亡等原因」説などに、ネオリベ・リベサヨが真っ先に食いつくのです。

 「日銀法改正」を求めるのも、この一節に由来しているところが大きいと感じる。

なぜ、主権作用である通貨発行のために、政府は富裕層に利息を支払わなければならないのか? 古代から、貨幣の鋳造発行権は、社会権力の位置を確立する、聖なるもの、あるいは政治的機能だと考えられてきた。今日、その権力がどこにあるのかは明瞭である。「国家のマネー発行とそのコントロールを渡しにやらせてほしい。そして私はその法律を作る人々を関知しない。」とメイヤー・ロスチャイルドは語っている。今日、マネーはプライベートな富に仕えている。それこそがまさに、高利貸しの根本原理なのだ。だが、高利貸しの時代は終わろうとしている。まもなく、マネーは別の主人に仕えるに違いない。