津波被災の記録123

 復興予算の被災地以外への流用反対の本音って「低学歴・低能な地方(人間)への投資はムダ。選択肢として排除すべき。」ということは以前から指摘されていたことですが、未曽有の大災害による日本という共同体社会が「高学歴な都市部・低学歴な地方」という分断をしたがるのは、「都(京)への憧れ」と現実の京都の保守的な風景とは異なる「核心的な利益」を保護するための仕組みとしての「排除の論理」「分業生産(アウトソーシング)」とも無関係ではないと感じます。 

マシナリさんは、低学歴な「地方」の制約 において、農家と自営業について述べられていますが、農業においては「農地解放」「満蒙引揚者による中山間地(僻地)開拓」における創業者は「低学歴」ではありましたが、二代目以降に事業継続していく方や子沢山な次男以降の都市部への集団就職等を経る中で、農業従事者の大卒率は極めて高まっていきました。実はこれが農協を支え発展させる原動力でもありました。
 戦後の焦土と化した中から商業の集約化として「商店街」が成立し、その象徴名称として「銀座」が各地に成立していきます。自営業者の集積地である「商店街」は商業活動のみならず地域活動の資金供給源や人材輩出を行うことになりますが、二代目以降の「大卒者」の割合は高まっていきます。 

ちなみに、そうした低学歴の世界でも高学歴の世界の知見を取り入れる方法がありまして、それが業界団体や地域のNPO等の市民団体からの意見を集約して意向を把握することです。業界団体であれば、その代表や幹部の中に実際に高学歴であるかに関わらず一定のクオリティの見識をお持ちの方が必ずいますし、NPO等の市民団体でも同様です

 「溜め」とかを言う元内閣府参与については批判的な自分ではありますが『「あそび(車のハンドル)」が足りない』という感覚からマシナリさん達の現場における緩衝材「高卒採用の減少」が大きいのではないかと感じています。自治体のみならず外郭団体等の組織には「高卒・大卒等」の調整機能もありました。
 労働組合が「高学歴」、業界団体が「高卒者」という意見集約組織の在り方とその後の発展との関係は無関係ではないでしょうし、ネオリベ・リベサヨ化していくプロセスとも連動しています。
 実際のところ今回の問題は「学歴」というよりも「収入(所得)」によって、付き合い方は制限されて同所得の範囲における行動制限が存在しうることをどの時点で認識するかという話です。地方から東京へ上京した人が社宅・官舎等に入居する場合やアパート等へ入居する場合と自宅通勤者との可処分所得の差による「付き合い」に直面するのが昔は多かったはずです。現在では専門学校・大学等がその場となっています。でもこれって新しい問題ではないですよね。
 生活圏における様々なインフラの有無によってもたらされる、趣味・観光・スポーツ等の娯楽環境は「学歴」「収入(所得)」だけではない要因によって成立します。この話に納得しがたい部分を感じるのは何故なんでしょう。
 

映画なんか大嫌いa.k.a.花房出雲 @eigakirai
但しこれもmachineryさんには釈迦に説法でしょうが「知的」「高学歴」な人達が多く住んでるらしい大阪や東京だって実際には橋下徹猪瀬直樹ブイブイ言わせてるし『委員会』や『TVタックル』が人気番組なんですぜ、、(幾ら何でもああいう番組を「低学歴」だけが観ているなんて筈はない)

映画なんか大嫌いa.k.a.花房出雲 @eigakirai
、、つか都合の悪い事は全て「官僚(東大法学部閥)の陰謀」「電通の陰謀」のせいにする高偏差値大卒者どもの何処が「知的」なんだよ。

旧HALTANさんは「低学歴と高学歴の世界の溝」というよりも「高学歴間の怨念(溝)」を以前から指摘しています。本来、社会制度で調整できていることを破壊するために意図的に「階層間闘争」を扇動することが外部要因よりも内部要因によることを知っているからこそなのでしょう。

 いずれにしても、特に低学歴の世界の住人が多数派であり、家族や学校の中でそれが再生産されている地方の田舎町では、政策の実施とか制度の運用は低学歴の世界の住人が理解できる範囲にとどまります。私がチホーブンケンに懐疑的なのも、こうした現実と毎日格闘しているからともいえます。

 

 この話が出る前に読んでいて、地方分(主)権・「新しい公共」の推進者という立場がどのように見ているかを読んでみたわけですが、

【読書感想】地方にこもる若者たち

★現在篇★ 地方にこもる若者たち
第1章 若者と余暇──「ほどほどパラダイス」としてのショッピングモール
第2章 若者と人間関係──希薄化する地域社会の人間関係
第3章 若者と仕事──単身プア/世帯ミドルの若者たち

★歴史篇★ Jポップを通して見る若者の変容
第4章 地元が若者に愛されるまで
1.80年代 反発の時代 BOOWY
2.90年代 努力の時代 B'z
3.90年代 関係性の時代 Mr. Children
4.地元の時代 キック・ザ・カン・クルー

★未来篇★ 地元を開く新しい公共
第5章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
第6章 新しい公共性のゆくえ
1.二極化する若者たち
2.ギャル的マネジメントに学ぶ
3.我々は変われているか?

地方都市はほどほどパラダイス

 地方分(主)権に対して懐疑的な人ほどこの本や前段での話がどのような方向へ誘導しようとしているのかを気付かされることでしょう。そういう意味ではタイミングよくでた話なのではないかと感じます。
 この本は「若者論」とか「地方賛美」と受け取られては非常に危ない本だと感じるのは、『「やりがいの搾取」と呼ばれる状況だが、私はそれを若者自身のギリギリの生存戦略とも捉えている。』と社会学者である著者が評価していることもあります。
 低所得構造が「オランダが一歩先んじている」とは全くかけ離れた社会インフラと社会の合意という前提など存在しなくても自己責任による肯定によって、地方分(主)権が成立しうる。ということを「現在編」で主張しています。
 「歴史編」は「反抗と地元密着」という被災地での「観光戦略」における「遺構ビジネス」の匂いが感じられる話で、「地元は搾取される道具」としての「観光・映画・メデイア」ビジネスを向かわせる下地と言ったところです。

 「現在編」におけるデータが総務省|地方自治制度|地方公共団体の区分との関係を前提として取られていることは明白で、岡山市(政令指定都市)と倉敷市(中核市)の話は単純な「地方」と取られるのは違和感があるのです。
 都道府県庁所在地と歴史的に藩庁所在地であった経過はそれ以前からの人口移動の動態に少なからず影響があるのは変えられません。逆に言うとそういう「江戸回帰」論がかっての中心地再興論である面を抜きにして語れない。
 「モータリゼーション」は「小京都(イオンモール)」への移動手段を用意にした。「小京都(イオンモール)」は、藩政期に整備された藩庁が観光地化された流れの一種であって特別奇異な動きではないはずで、その否定は「観光産業」というものが「幻想・夢の国」を庶民に与えるというのであれば、役割を終えたものをどのように再利用するかということでしかありません。ここでは新たな「小京都(イオンモール)」と古い「銀座(商店街)」に言及しており、その衰退を補うのが「新しい公共」の入り込む余地があると結んでいるため、

イオンモールとは、「地方の若者にとって何か。それは「ほどほどの楽しみ」を与えてくれる「ほどほどパラダイス」である。

 「ほどほど」以外の関与に対する「新しい公共」については言及していませんが、地方分(主)権に好意的でないものにとっては、社会学者がニンマリするのは寒気しか感じません。被災地における復興住宅は建設中で、場所によっては入居の抽選会も実施した這いますが、入居予定者は半分以下だそうです。当選しても、傾斜方式の家賃では生活が維持できないので辞退もおきています。そんな地の平均所得からすれば高所得者向け住宅を建設しているため、同じ無理をするなら郊外に一戸建ての住宅を希望するのも増えています。社会学者が考える「伝統的な共同体」は推奨する「都会のイノベーション」によって抹殺されているのが現状なのですが。

【コラム3】「ポスト311の郊外論」において
 震災からの復興を考える際は、昔ながらの「絆」も必要だが、大胆なイノベーションも求められるのである。
 つまり、311の大震災は、われわれに、田舎のコミュニティと都会のイノベーションの両方の大切さを教えることになった。伝統と創造。
 その両輪がなくては、震災からの復興はかなわない。両者を対立させて考えることは有益でなく、伝統的な共同体があり、それを創造的に破壊し、再構築し続けることで、社会は前へ進んでいくのである。
 郊外とはもともと、戦後、田舎のしがらみや都会の喧騒を疎ましく思う人々によって希求されたものであった。「ファスト風土」は、その究極のかたちである。
 だから、若者の愛する地元の姿、ショッピングモールとコンビニとファミレスが立ち並ぶ風景は、戦後日本人の「夢」の集大成とも言えるだろう。日本人は経済性成長とともに、田舎でも都会でもない、快適な生活空間として、郊外をつくりだしてきたのである。
 しかし、田舎のしがらみがなく、都会の喧騒もないその場所は、同時に田舎のコミュニティもなく、都会のイノベーションもない場所であった。その代わり、その場所には、ただひとすらみずから(と家族)の生活しか興味のない「私生活主義」が蔓延していった。


「平泉」と「盛岡」決定 ご当地ナンバー、14年度中交付

 平泉ナンバーは一関市、奥州市、金ケ崎町、平泉町が対象。世界遺産に登録された「平泉の文化遺産」を宣伝する〝走る広告塔〟としての効果や地域の一体感醸成に向け、地元から導入を求める声が上がっていた。官民一体で取り組んだ2年半にわたる活動が実った。

 盛岡ナンバーは盛岡市八幡平市、滝沢村、紫波町矢巾町が対象。本県は東北他県に比べて観光客の入り込み数が少なく、新ナンバー導入で知名度を高め、交流人口の拡大や定住促進につなげようと対象5市町村と各商工団体が中心となって進めてきた。

 東日本大震災以前に「三陸」ナンバーについて青年会議所が動いておりましたが、少し厳しい意見を述べたことがあります。資料はパソコンが流失したので残っていませんが、「三陸」の認定が難しい理由として、沿岸部全体の総人口並びに市町村合併の可否についてでした。当時は「基礎自治体」の人口規模を自民・公明党が「10万人以上」であり民主党が「30万人以上」としていたこともあり、最終的には「ご当地ナンバー」の対象地域が広域合併・広域行政を成立しうるのかが決定の判断となるのが大きく、当時でも「盛岡(中核市)」「平泉(政令指定都市規模)」以外の認定はあり得ないという趣旨の意見を述べました。

 「ご当地ナンバー」が単なる「地域の知名度向上や観光振興が期待」という話ではなく、将来の市町村再合併を推進するためのものだと言う事も頭の片隅に入れるべきでしょう。