津波被災の記録121

 東日本大震災から2年4ヶ月が経過しました。高齢だった親族が家族に看取られ亡くなりました。手伝いかをしながら、明治三陸津波の記録『海嘯岩手県陸中国 南閉伊郡海嘯記事 ‐ 【津波ディジタルライブラリィ】』を思い出しつつ、高齢者の葬儀が続くなか「被災地の復興」が、様々な外部の方達に利用されていくことを考えながら、「失われた××年」を含め何が混迷を深めたのか、本日と言う日がその解消に向けてのスタートなのか更なる混迷を深めるのか、次の世代に検証して貰うことになるのでしょう。


問う:2013参院選/3 復興 政治家は生の声聞け−−岩手県陸前高田市のまちづくり会社専務・河野通洋さん

 震災直後、中小企業庁の課長さんらが「プレハブの仮設店舗や工場を国が無償で貸与する」と説明に来た。「完全なフライングだが、首をかけてでも法案を通して予算化させる」と。私たちが説明して回るのに必要だと言うと、名刺もくれた。「この国の役人は捨てたもんじゃない」と思った。警察官、自衛官、消防署員たちの犠牲をいとわない行動もそう。震災は、そういう公の人を「日本の誇り」と見直す機会になった。世界からも称賛された。

地元の復興に向けては、土地取得のための地権者交渉に時間がかかりすぎる今の制度を抜本的に変えてほしい。内閣府の予算で起業した会社が約40社あるが、借りられる工場もなければ事務所もない。成長の源泉なのに、もったいない。

中小企業経営者は震災後、役員報酬をゼロにした。財政破綻の危機を本当に感じるなら、国会議員も報酬をゼロにしたらどうか。議会はボランティアで夜やればいい。昼は本業の仕事をして。政治家が範を示せば官僚も地方議員も変わる。

 毎日新聞には、東日本大震災の前に「津波てんでんこ」を新自由主義(ネオ・リベラリズム)の自己責任であると断じられたことは忘れられません。
 今回、「被災地の復興が遅れている(進まない)」ということで、毎日新聞が掲載したのでしょうが、これは被災地が利用される内容となっていることに、腹が立ちました。
 戦後、チリ地震津波等を経て整備されたインフラ、形成された私有財産が2年4ヶ月で物理的に復元可能かどうかという現実的な話はどこにもでてきません。いまでもそうですが精神論で進める「復興」とはなんなのでしょう。「新しい公共」に復興予算を費消させ、大都市への還流を促す導管としての役割「構造改革の遂行」でしかありません。
 「まちづくり会社」という都市インフラ整備を担う株式会社が被災地でどのように運営されるか、それが被災地の政治・経済・社会に対してどのように影響するのかを、支援と称して介入する東大・東北大を含めた学者・学生が語ることはありません。また、メディアも市民等へ知らせることはありません。

 歪な経済政策 machineryの日々で取り上げられていました。ありがとうございます。

「がんばっている中小企業への支援を拡大すべき」とか「地元の地場産業を活性化させて地域振興」という主張は大変美しいものではありますが、ではその「がんばっている中小企業」とか「地元の地場産業」として具体的にどの企業を支援するのかという段階になると、上記のような行政との継続的な関係とか地域でのその事業(業種)の伝統的な位置づけがものをいいます。こういうのを「しがらみ」と言っていいと思うのですが、「民間感覚で地域経営を」とかいう政治家の皆さんに限って、こういう「しがらみ」にズブズブな「産業振興」を推進されるわけでして、実務を担当する側からすれば、その「産業振興」が美しい言葉で主張されるだけになかなか厄介です。hahnela03さんのご指摘は、この厄介さを端的に示しているものと思います。

 毎日新聞の記事で、中小企業庁の担当課長が述べた話やまちづくり会社専務の話は大変興味深いもので、マシナリさんも指摘するとおり、「がんばっている中小企業」とか「地元の地場産業」の基準は何なのか、被災地を支援している方達にもわからないところです。簡単に言うと「補助事業などが採択された企業」のみが「成長企業」「がんばっている中小企業」であるということです。まちづくり会社専務の会社は日本テレビ系で取り上げられたこともあり、商品開発等を含め補助事業に関わっていました。また、グループ補助金のみならずNPOファンドによる取組もふくめ行政的には、『ズブズブな「産業振興」を推進』に利用しやすいというのがあります。震災以前にメディアに取り上げられたことのある企業ほど補助金を受けやすいのは、被災地以外への宣伝戦略からも取り上げられやすいのです。同情で動いているのではありません。同情を動かすためにです。
 
<参院選>復興と法整備 現実を直視するならば

あす投票の参院選では、復興が大きな争点になっていない。震災から2年4カ月の今も被災地が多くの難題を抱えているのに、経済政策に隠れてしまった。
 新たなまちづくりに入る被災地は、法制度の不備で事業が滞る。そこに光を当ててほしかったが、論議が深まらないのは残念だ。
 震災後、国会では復興基本法を軸に45を数える関連立法が行われた。それぞれ意義がある半面、被災者の側に立つと十分とは言えない。立法府の役割はなお大きい。

 特に高台移転などの用地取得が難航する問題は座視できない。住まい再建は暮らしの基本だけに、その解決は時間との勝負になる。
 自治体が土地を買い取ろうとしても、持ち主不明の場合が多い。被災地では相続の処理をせず、登記簿上は数代前の人が持ち主という例が少なくないからだ。 土地によっては相続人が数百に上り、全員の同意を得なければならない。海外に住んでいて交渉を諦めたケースもある。自治体には大変な負担となっている。

 改善策として復興庁は4月、財産管理制度の活用を打ち出した。持ち主不明の土地などについて、自治体の申し立てにより弁護士ら財産管理人が売却できる。
 だが相続人全員を調べ、交渉するという手間は変わらない。抜本解決にならないため、県は持ち主不明の土地の管理権限を市町村に与える特別法を求めてきた。

 東北弁護士会連合会も今月、特別立法を促す決議を上げた。一定期間に届け出た持ち主だけの意思、または相続人の過半数の賛成で売却を決める方法を提案する。 こうした措置に国が消極的なのは、個人の財産権に踏み込むためだ。従って法曹側が時限的に、私権制限もやむを得ないとの見解を出したのは大きな意味を持つ。
 次は立法府の出番だろう。復興に最も重要な住宅再建が進まない現実を直視すれば、最善の道を選ぶべきではないか。地元が声を上げ続けていくことも大切だ。

 震災に関する法律家の提言は国会を度々動かしてきた。災害弔慰金がきょうだいに支給されない問題や、借金を相続しないための対策では法改正や特例法につながった。
 東北弁護士会連合会は、生活再建支援金の増額など制度改正、法整備も決議した。

「個人の資産に公金は使えない」との役所の決まり文句に「憲法の個人尊重原理がある」と強く反論している。

 参院選で、用地取得に特例を設ける議員立法や支援金増額を掲げた政党、候補者は少なくない。選挙後、直ちに行動に移してもらいたい。


 「復興が進まない」のは、「資器材・労務費の高騰」「入札が不調」であったり、「復興予算の流用」のせいではありません。「財産権」を縮小させる手法をどのように実施するかです。このことは「失われた××年」でも問われていたことです。多くの国民は「年金問題」で感情を表して政治の混迷を齎しました。日航の問題でもそうですが、企業年金(個人の財産権)を如何に縮減させるかを民意の名の下で行ったからできたことです。個人の財産権を如何に縮小させるか、「レッセフェール経済」にとっては、最優先事項です。国による財産権保護の象徴たる「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」を解体することが彼らにとっては主命題になるのは必然なのです。
 極端な言い方をすれば、「復興を迅速に進める」ために、「個人の財産権」を無効にする。「被災者の切実な声」という同情を誘い、被災していない被災地・支援地の「個人の財産権」を無効にする。ええ、日本国憲法を名ばかりで捨て去るということです。
 「憲法の個人尊重原理」さえ守れれば、日本国憲法は名ばかりで存在していい。「国民を守る事すら放棄していい」「金さえ配れば」それが法曹関係者の本音です。「個人の財産」は自己責任で守るべきであって、国家が守るべきではない。「失われた××年」で何回も唱えられたことではありますが、「被災地復興は金だけ渡して、それでお終い」という結末を感じさせるのが、日本の知識階級の本音なのでしょう。
 今後の大災害は国家に守らせません。捨て金を配ってそれで終わり。財産を残せなかったのは「自己責任」となります。公務員も仕事から解放されてというかもう対応不能なほど縮小させているでしょう。全ては「国民の生命」「国民の財産」を分離した国家へ向かわせること。大都市部の再開発事業「戦略特区」等はし易くなるでしょう。被災地のための法改正とはとても思えない。
 それを「被災地の声を聞け」とするリベサヨ新聞の気がしれない。