感謝と無念と疑心暗鬼

 平成21年3月11日「東日本大震災」後の、ご支援に際しましては様々なお力を頂き誠に感謝に堪えません。御礼申し上げます。
 ただ、様々なご支援が、善意ばかりではないことで、地域社会の紐帯を断絶させていく様については、「東日本大震災」以上の恐怖と失っていく共同体の無念さを日々感じる身と致しましては、複雑な思いが付きまとっているのを払しょくすることができません。

 復興委員の親族に対しては手厚い配分がある話や、NPO等の「新しい公共」の、支援配分の偏在がここにきて誰の目にも見えるようになったことで、共同体性を喪失していくことがはっきりといたしました。復興に関わる組織の中央部にいる方だけが利益を享受することをわかりつつ大学やNPO等の支援の集中が目に余るのはどうしようもありません。
 行政が調整機能を喪失しているといえばそれまでですし、「タダ」で受けられるものは全て受け入れる。その後のことは今は何も考えない、考えるのは中央だけという状態を自ら生み出し受容しているのですから、地域社会が変容するのは自明のことなのでしょう。
 
 東大社研の「希望学」が、震災以前から疲弊していく地域社会に役立たず、「新しい公共」を受容する下地にしかならない部分を感じていた時から、震災復興における大学の支援が独りよがりの支援が共同体の喪失を促進することと、震災後の復興需要の取り込みというシビアな面を見せつけられただけでした。

 年末は新聞等のニュースは消費税中心となって、政治はまた混迷を深めていくだけらしい。
 様々な要求を満たすためには、コストがかかるという単純な話ができないことが「市民感覚」「住民尊重」というのは、誤っている。と何故言えないのだろう。正社員の「ワークライブバランス」を成し遂げるためには「非正規雇用」が大量に必要であり、若年者の定時勤務を可能とするためには、高齢者雇用による代替雇用が必要になることで、残業の喪失と残業代の所得移転により、世代間雇用を調整していくしかない。ただそれについても一定の規模の会社組織が必要であるという前提が条件です。
 子会社・関連会社への転籍・在籍出向から社員として残れるのが、大・中(大)企業といえども一部の幹部経験者のみとなることの是正でもありますが、そのしわ寄せが中(中・小)小零細企業の受注のフローに変更が加わるという話です。単純な労働問題に限定すれば、65歳定年制と定昇の廃止、新卒一括雇用廃止は、セットで議論することができるのは大企業(公務員)=日本型雇用という幻想の話でしかありませんから、大多数の労働者にはあまり関係のない話です。
 問題は、受注の中身が薄くなることで、中小零細は企業として存続することができなくなることが加速することが決定したということでしょう。直接的受注=元請は今後できなくなります。
 公共工事の低入札誘導を推奨する五十嵐法大教授の言い分からすれば、自分達の生活のために「犠牲となれ!!」自治労系の組合員(公契約条例)の生活のためには、低賃金で算定された積算根拠に基づき、国で決めた労務単価より地域の実勢に合わせた労務費で行うべきということにつきます。
 この10年国の労務単価が半減したのは、低入札と賃金カットのダウンスパイラルの結果です。リベサヨな市民が、労働者を困窮させ地域社会を疲弊させてきたわけです。政治運動によって。
 橋本大阪市長は個人的に好きではありませんが、彼を生み出し育て彼の言い分を正当化させてきたのが、リベサヨな方達の主張だったことを思えば、自然ともいえる流れでしょう。そして、そういう流れが震災後の復興事業の査定でも威力を発揮していて、単価割れしている工事を地元業者に無理やり受注させようとする民主党系の市長と議会と市民とメディアの圧力が変わらない状況は改善よりも強まっているのです。脅し文句は「ゼネコンにやってもらえば、地元業者はいらない」と言い切るのですから。

 金融緩和し、資金が潤沢になっても、実体経済への繁栄は薄いと言わざるを得ません。CWFに毛の生えた程度の金額をゼネコンから提示されるわけですから、被災した企業と社会が立ち直れることは困難でしょう。最低賃金=地元実勢労務費が守れれば、企業が持続していくために必要な経費は必要がない=労働供給機関になれというのが真意でしょ。非正規雇用よりはまし程度で我慢しろというのですから、地方社会への再分配機能は喪失することが必要な措置だと、リベサヨな方達が志向していることに揺るぎは見られませんから暗澹たる震災復興となるでしょう。

 また、未だに仮設住宅の修繕工事はリース会社を経由して、新潟県と北海道の方達へ還流しているのが実態です。国の労務費単価が下がったとはいえ、経費等をまだまともに見ているということで、再分配機能が衰えてないく、他の地域へ資金を還流できています。
 確かに、震災前から労働者が激減し、震災前に解雇した労働者が戻ってこなかった状況を踏まえても、地元が手が回らないのは事実ですし、震災により失った職業以外へ移れないのがわからない時点で、どのような制度も支援も無力でしかなく、自ら「働く」ことで、社会の居場所を確保することに目覚めることが重要なのに。

 消費税が「経済成長」を否定していると思い込んでいる方達が多いということと、要求を満たすためにコストが増えるが嫌だから、右から左に簡単に動かせると思うのは、変な話ですが他者を平然と踏みにじれる権限等をお持ちの方だけだよ。他者に絶対的屈服と服従を要求する「マニフェスト」という錦旗を掲げることでやるのが「民主主義2.0」等とは馬鹿馬鹿しい話でしょう。
 
 まだ壊れていない、「再分配機能」が、機能し続けることを願ってやみません。