津波被災の記録58

 東日本大震災から9か月。11月下旬より体調がすぐれない中、事務所の再移転から月末の給与・下請代金等の支払となんとかこなす。右手足の痛みに加えて、背中の痛み(11月頃から被災地ではよく聞く話ではある。)に悩まされる日々。現在は緩和されてきているもの、仮の寝処から自宅へ完全に移ることができたこともあるだろう。ネットに関しては業務上最低限どのみにしていた関係で新聞も目にしていないので来週ぐらいからは少しずつ見ることになるだろうか。
 下請業者の30代半ばの社長の息子さんも突然、心筋梗塞らしい症状で亡くなったりと、被災地の肉体的・精神的な負担はまだまだ解消されていないから、気を付けないといけない。

 9か月が経っても復興への道筋はいまだ不安定だ。水産加工会社の再建工事に市職員(共産党員らしいけど)が先頭になって、反対運動している話がでていたり、がれき処分の入札については、大成建設と前回の鹿島JVで対抗した方たちがご執心という話が飛び交っている。パシフィックコンサルが仕切っているのでどこぞで決まるのだろうか。関わりたくないなあ。3年間に渡る事業に社運をかけたり、前回のがれき撤去で儲けた方たちはすっかり味が忘れられないともっぱらの話。
 地元の水産加工会社の再建に市職員が反対しているため、市民は気仙沼の水産加工会社へ仕事をしに通っている人達もいる現状をどう考えているのやら。第三次補正や借入金についての取り扱いも決まって動き出しているものの、定置(鮭)は不漁ではなかなか厳しいだろう。夏場より冬場の水揚げ如何で利益がでるような状態なのだから、来年のまでの運転資金の確保まで政府が手当てしてくれるかどうか。

 新事務所から帰る際にどうやら幽霊さんにお会いしたらしい。黒っぽい影だったのでこんな夜中明かりもつけないで歩いていられるなあと車で見たのだけど。同じ場所では、県警のパトカーが4人ぐらいのジャンパーを着たような黒い影に職質しようとしたら消えたとか。
 中心部のコンビニの関係者が亡くなった(らしい)のだけど働いている姿を警官等が見て「亡くなった」ことを諭している話を聞いた。生者も死者も「思いが残って」中々前に進めないのだろう。

 仕事はあっても人は集まらない現状は解消されないだろうし、抑えていた職人・技術者も高い手間で引き抜きが横行して工程が組めない。大手による札束攻撃はキツイねえ。仙台あたりの業者でも根を上げるほどだから、3年後に賃金と労働者の揺り戻しが起きた時のダメージを負わない算段も取らないと「津波で生き残ったけれど...」になるだろうなあ。