津波被災の記録56

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111025t71023.htm
津波予想地域、浸水2メートル超住宅建設禁止 釜石市復興計画
 岩手県釜石市は24日、東日本大震災の復興まちづくり基本計画中間案をまとめ、市議会と各種団体で構成する復興まちづくり委員会に示した。今回と同様の最大クラスの津波で2メートル以上の浸水が予想される地域は、住宅の建設を禁止する方針を盛り込んだ。
 2メートル以上の浸水予想地域を災害危険区域に指定、産業用地や公園などに充てる。内陸に設置する盛土構造の道路などで浸水を2メートル未満に抑えられる地域は、一定の建築制限を設けた上で住居系用地とする。
 市は、国交省や日本建築学会の被災調査結果を基に、建築物に壊滅的な被害を及ぼさない許容浸水深をおおむね2メートルと判断した。今後、地域での協議で変更する可能性もあるという。
 公共施設の再配置では、市庁舎を現在と同じ中心市街地の東部地区に、東部地区で被災した消防庁舎は、浸水を免れたJR釜石駅近くの鈴子地区に、それぞれ新たに建設するとした。
 市庁舎建設は「東部地区の拠点性向上に努める」と位置づけ、2019〜20年に計画する。現在の市庁舎は1954年建設で、老朽化が進行している。「早急な整備が必要」とした消防庁舎建設は11年に事業着手し、14年の完成を目指す。
 中間案は、7月に公表した骨子を基に111項目の実施事業を掲げた。計画期間は10年。市は11月下旬にも基本計画の素案をまとめ、市議会の議決などを経て年内に策定する方針。


2011年10月25日火曜日

hahnela03 2メートル以上の浸水予想地域を災害危険区域に指定、産業用地や公園などに充てる。/市街地は過去の経験からS・RC造で建てている人達がいる。他の地域は消滅へ向かう。今まで築いたコミュニティはこれで消滅へ。 2011/10/25

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111025_2
釜石市役所は東部地区に 浸水2メートル超「非住居」

釜石市は24日の復興まちづくり委員会で、復興基本計画の中間案を示した。老朽化した市役所の将来的な建設地について、これまでと同じ東部地区にすることを明記。津波で広範囲に浸水し、市内で最も大きな被害を受けた同地区だが、市は復興する街の中心に位置付ける方針だ。土地利用については、東日本大震災レベルの津波で想定される浸水深が2メートル以上の地域を「非住居系」とすることなどを盛り込んだ。

 築50年以上の本庁舎(同市只越町)など市役所の新築場所をめぐっては、市が2月の市議会全員協議会で同地区の旧釜石小と旧釜石一中跡地(同市天神町、約2万平方メートル)とする方針を示していた。

 釜石港から近い東部地区は、津波による被災家屋が市内で最も多い約1500戸。市は「これまで市の中心的都市機能を担ってきた歴史性を踏まえる」として同地区に建設する方針を貫いた。

 ただ、旧釜石小と旧釜石一中跡地には現在、仮設住宅が立っている。今後は復興公営住宅で活用する予定で立地は別の場所になりそうだ。建設は2019、20年度を見込む。

※先週の岩手日報では、大船渡市においても同様の措置を取る旨の報道がされており、ある程度覚悟はしていたが、ここまでコミュニティを壊すことに躊躇しないのも凄い。地域会議の代表だけが呼ばれて話をされた話であって、持って変える間もない報道の仕方にメディアと自治体の悪意を感じざるを得ない。「今後の意見等による変更は認めない。」「民意はいらない。」恐ろしいほど基礎自治体が、既存の住民など必要としていないことを宣言するとは。
 今回の措置により、一番の被害は、両石町・鵜住居町・片岸町の旧鵜住居村という、かっての市町村合併への虐待は続くということか。
 長い年月で育まれたコミュニティが復興の美名の人災によって滅ぼされるのをただ見つめるしかないのだろうか。ある小学校の教師は、生徒に「鵜住居地域会議の地区の方達が、山を崩し、山林を伐採し、集落移転するのは自然破壊でとても悪いことをしようとしている。」といったという話を聞いたときは、唖然とした。教師にとっては、生きる事よりも自然を守ることが大事らしい。コミュニティなど消滅して当然ということ。「森は海の恋人」を取り上げての話であるらしいが、畠山重篤氏もさぞ本望だろう。
 
 先々週のNHK石巻市の集落について報道していたが、市町村合併によって合併した町村に対して行政は何の支援も行わず、住民の7割以上を離散させているという。平成の大合併の負の面が如実に表れてしまった結果にしても酷すぎる。しかも「地方主権」「地方分権」はこれをさらに大規模に適用することになることで、「○○都構想」「○○州」が、主要部以外をいとも簡単に切り捨てることは容易になることを今回の東日本大震災後の復興は表明化させた。それでも西ではそれが争点の選挙を行うという。不毛な戦いというべきだろう。

 それにしてもこの新聞の報道は、肝心の部分が抜けている。何のために木造建築物を建てさせないのかということ。復興のために「自然エネルギー」「エコタウン」「太陽光発電」「大規模農地」のために邪魔な建造物を排除することのためとは書かない。「復興特区」というのが被災地の為ではないのは分かっていても、ここまで徹底されるとはね。

(追記)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111025t31031.htm
「てんでんこ」の扱いで論戦 釜石市議会特別委
 「自分だけ助かれば良いということでは決してない」―。東日本大震災で、市内14小中学校にいた児童生徒約3000人全員が逃げて助かったとして注目される「釜石の奇跡」。その奇跡を支えた、取るものも取らずてんでばらばらに逃げるという地域の教え「津波てんでんこ」の言葉の扱い方や解釈をめぐる議論が24日、岩手県釜石市議会特別委員会であった。
 質問したのは山崎長栄市議(公明)。市が、復興基本計画中間案の基本理念の中で、地域で語り継がれてきた「津波てんでんこ」の大切さを再認識する重要性を記したのに対し、「本当に、てんでんこだけで良いのか」とただした。
 山崎市議は、高齢者ら要援護者が増えていることを挙げ共助、公助の重要性を強調。「てんでんこ」の言葉の使い方を誤れば、目の前で助けを求めている人を助けなくても良い、と解釈されることを危惧し「言葉だけ強調するのはいかがなものか」と、丁寧な説明の記載を求めた。
 「釜石の奇跡」についても「たまたま下校前で助かった側面もある。下校後だったら、犠牲者が出たかもしれない」と指摘。「てんでんこ」だけが注目されることに違和感を示した。
 市民生活部の山崎義勝部長は「記載の仕方は難しい。ただ(明治、昭和の2度の津波被害を受けた)先人の教えの良い部分は記載すべきだ」と答弁。野田武則市長も「切迫した状況の中で、自分の命は自分で守ることが大事だという教えと捉えている」と理解を求めた。


2011年10月25日火曜日

hahnela03 「津波てんでんこ」については、1年前の津波の際に毎日新聞に「自己責任」「切り捨て」と断じられました。そういう事もあって過敏になっているのはあります。生きて紐帯を紡ぎ続けることを託されているのです。 2011/10/25

※「自分の命は自分で守る」だけではないよ。「生きる」ことで、死んでいった者達を弔う者がいなくなることを防ぐ事。死んだ者が「この世に生きたことを証明」することを負っているのです。
 自分の親族で後藤和智氏の院の後輩も今回の震災で肉親を目の前で津波にのまれている。
 高齢の親族を必死に手を引いていたのだそうだけど、手を放したのか外されたのか記憶が無いそうです。生かしてもらったのだと自分は解釈するけれどね。生きてある限り「生きた記憶」を忘れずにいることが大事なのだと。

 それにしても今回の質疑が、岩手日報ではなく河北新報に掲載されるのは何でだろうね。「釜石の奇跡」については、現場に居た方の話は前に書いているけれど、基本計画がどの様な内容かはまだ市民に公開されていないので良くわからないけれど、「避難」のし易さを強調しすぎているのだろう。理念ではなく「インフラ」という現実が語られない事への不満なのだろう。野田市長=民主党があれほど反対し忌み嫌った、山崎長栄氏にとって何度も陳情し、住民と共に国土交通省で頭を下げ続けて完成した「三陸道」によって多くの人々が助かり、救援と復興に資することの大きかった現実を否定されたようなものだから。