焦土戦略

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110917/p2
■[アホ文化人を退場させられない理由]北海道大学准教授・中島岳志の「論壇餓鬼道」、、、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

@hidetomitanaka田中秀臣
みんなの党だけが政党として一番経済政策はまとも。というかぶっちぎり。いままで一度も投票したことないけどw。直近の都知事選挙では入れる候補がいないので「後藤新平」とやらかした俺がいるw。
9月15日 webからnoranekomaと他6人がリツイート

http://twitter.com/#!/hidetomitanaka/status/114253290442735616
「いままで一度も投票したことないけどw」つまりこの人、「選挙(国政選挙?)」には行った事がない? いや選挙には行っているが「みんなの党」には投票したことがない? いずれにせよ、
「いままで一度も投票したことない」のに「一番経済政策はまとも。というかぶっちぎり」と「政党」としての「みんなの党」を絶賛してるの?
、、、う〜む、もう何が何だか、、、。

どうコメントしていいのか完全に言葉を失ってしまった、、、orz

hahnela03 というかぶっちぎり。いままで一度も投票したことないけどw。/何が言いたいの「りふれは」。米国の結果は富裕層の急速な資産回復にしか役立たなかった。みんなの党はその追随でしかない。なのに何で...。 2011/09/16


(追記4)

hahnela03
脱原発=中間層の壊滅=雇用・社会構造の焦土(フラット)化=階層をぶっ壊す。経済合理性と相反する脱原発を掲げるリフレ派・左右の学者等が雇用も経済も本当はどうでもいいということだけははっきりした。情けない。 2011/09/17

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/HALTAN/20110917/p2
、、、日本の「左右」の「学者」「知識人」「マスゴミ人」「有名人」etcといった手合いが「脱原発=電力(エネルギー)供給の不安定は日本経済(経済成長)を破壊する!」ことを全く理解していないのは「やっぱりあの人たちはそんなもんだったか?」「あ〜あ」とは思いますが、、、。
「リフレ派(ネットリフレ派)」までが脱原発に合流してしまうことで「経済成長など本当はどうでもいい」本音を露呈させてしまうとは、、、!
震災後、ここがいちばんショックだったですねえ、、、orz

んで相変わらずネットリフレは「いや〜脱原発に合流しちゃう人たちにも困ったもんですよね〜ハハハ」という態度しか取る気が無いみたい。こういう場合にこそ「身内」が間違ったら止めなきゃいけないのに。あるいは「いやそもそも『身内』じゃないんで」としちゃうのか?
あいつら、もう真性の「嘘つき」「暖簾に腕押し」「無責任」集団だからなあ、、、orz

@Equity3Equity
古賀さんへのリフレ派(みんなの党派)のヨイショもすごいなー。普通、国家公務員が本の出版やメディアへの出演などはあまり出来ないはずなんだけどな、どうなんだろうな
10時間前 webから

http://twitter.com/#!/Equity3/status/114731212135858176
古賀某のような輩のカンリョー攻撃に易々と乗る辺りに「リフレ派」の本性が滲み出ている↓

所詮は、
「二流」「三流」ホワイトカラー・アカデミシャンがお手軽に「国士」気取りを味わう為に「リフレ」「経済成長」思想に飛びついてるだけであって。だから実際には、
「上」=東大法学部閥(政治・霞が関・日銀・電力ロビー、ついでにマスゴミ系企業まで?)
「下」=「リフレ」「経済成長」思想を理解しない「下々」、都会人の足を引っ張る(?)田舎者

、、、の両面を叩いて「だがオレ(たち)だけは日本経済を救う秘策を知っている!」と国士気取りでやっているだけというね。震災後の被災地への肩入れも別に本気じゃないですし。単に自分たちの「救国の士」気取りの満足の為にやってるだけ。

リフレ系セレブも「論壇」への足掛かりとして「リフレ」「経済成長」を説いてるだけだったしなあ。
2011-09-13■[アホ文化人を退場させられない理由]まじめにやろうぜ(爆)HALTAN:20110913:p1

、、、リフレ派(ネットリフレ派)の余りに露骨な「パブリックセクター徹底攻撃・超市場原理主義⇒小さな政府⇒霞が関解体・地域主権⇒田舎者切り捨て」思想も、彼らが本当にそれで経済成長が可能と信じているなら、まだ理解はしようと思う。

、、、だがどうもリフレ派(ネットリフレ派)は本音では「経済成長」さえ信じていなかったようですねえ、、、(絶句)
※ちなみに古賀某も東大法学部卒らしいけど。つまりは古賀某はたかが東大法学部閥の「内ゲバ」を恰も何かもの凄い政治闘争であるかのようにやらかしているだけ。古賀某はカンリョーは辞めるらしいが、「文化人」化でカンリョー時代の数倍の年収はもう約束されているのだろう。どっかの大学の先生にもなるかもしれない。
「悪のスクツ=霞が関・電力ロビーと戦う正義の脱藩カンリョー」という「キャラ」で「左」「市民派」から「右」まで今後も引っ張りだこ、年収も「億」まで行くだろうか? カンリョーのルートで「天下り」するよりは遥かに「実入り」は良くなるだろうね。
もう完全に「カネ」しか見えてないよね、この人。この人自身が「カンリョーは金銭的には割に合わねえ」とイヤになってしまっていたのだろうな。そこに「脱藩カンリョー」という「タレント稼業」が見えたので壮大に自爆テロをカマしたとしか思えません。wikipedia:古賀茂明で見ると疾病歴もあるみたいだしねこの人。そういう体でこのままカンリョー⇒何処かに「天下り」という「老後」を生きるよりは「脱藩カンリョータレント」として華々しく、、、という「夢」を見たのだろう。

※結局、バブル崩壊後の「失われた××年」が、構造主義にとらわれた人々にとって、東日本大震災津波被災地=福島第一原子力発電所事故被害地=焦土とした国土=フラット化された社会(IT革命等)=マル経「労働者は困窮していないことがおかしい→困窮さすべし」=重層下請構造廃止=イオン出店→地方商店街壊滅→撤退=個人商店のコンビニ転換→商社系による市場淘汰=コメリ等ホームセンタービジネス→農協批判・市町村及び自治体事務経費批判

 に見られるように、標榜が「リフレ」「新自由主義」「清算主義」「社会民主主義」的な手法を掲げようとしても、その目標が「階層の破壊による、何もない状態への希求」でしかなく、一般庶民にとっては、困窮する一方でしかなかっただけの話です。
 デフレ継続といいますが、最終目的が合一している以上、大多数の人々が気付こうと気付くまいとそのような方向性を指向するように誘導されていったのです。財務省・日銀・霞が関すらも同様です。

 例えば、復旧・復興の縦割りの排除については「大都市の都合を地方の要望のように語る」ことは非常におかしな議論です。 縦割りは別の見方をすれば、地方の選択肢を増やしているにすぎません。それをどの様に生かすかは、地方住民次第です。ですが、最終的な部分まで税金では面倒は見れない(利益を生む最終段階)ことが、様々な試みを行っても失敗に終わる原因です。地方金融機関がそれだけの投資リスクに対応ができないということです。
  
 また、公共・民間投資を含めた地方への滞留の時間が短くなっていることが、地方が資本の蓄積をし辛くなっていることによるものです。これは社会の階層構がそれだけ薄くなっていること示していると考えられます。個人事業主がチェーンストアビジネスに取り込まれていくことで、資本の蓄積ができにくく本社に利益が集約するビジネス構造による部分が大きいと考えられます。結果として、コンビニ店員の給与の定昇を出来なくするのも消費者利益を掲げる新自由主義に合致しているからです。

共産主義日本共産党ですら、赤旗三面【追跡 原発利益共同体】毎年税金60億円 「安全神話」刷り込み 電通博報堂産経新聞社など事業請け負い http://twitpic.com/5qpjsb http://twitpic.com/5qpjtm とでていますが、随分昔に早大の享受が、「コミュニティズムを共産主義と訳したのは誤訳だった共同体主義だった」と書いていたものを読んだことがありますが、日本共産党がコミュニティズムを批判するとは地に落ちたものだと感じさせます。
 上記の目標からすれば、新自由主義の敵は「共同体主義」とのことですから、日本共産党新自由主義化は自然なことなのかもしれません。
 もともと、公共投資に批判的で財政規律に厳しいことを考えると悲しい結末なのでしょう。

山脇直司氏のような「新しい公共」論についても同様の懸念を感じるのは、国という群体が人類社会において機能不全を起こしているため、地方(個体)による進化という思考が感じられます。「エヴァンゲリオン」の人類補完計画そのものに近い思考ではないかというのは、以前から感じていることでしたが、最近のメディアによる動きは、そういう部分への洗脳に近いと危惧するところです。大多数の方は娯楽でしかないでしょうけど。

 反原発の方達が使う「原発村」という表現が、ハイエクの公共財の独占と共同体批判という部分が感じられて非常に興味深いですし、TPP推進も同様の主旨を含んでいるのは何でなのでしょう。
 電力自由化や公共サービスが共同体主義的な低廉な価格によつて提供されていることが、市場を歪めると断じられ、消費者に適切なコストを支払わせることが、新自由主義のあるべき立場というのですが、利益は別の話となるのは随分と都合の良いのが新自由主義というものなのかと、様々考えさせられますね。生産者の利益より消費者の利益という新自由主義が些か屈折しているのはなぜなのでしょうか。自分程度では難しすぎます。