「経営者側の視点」と呼ばれて

 hamachan先生の 新しい労働社会-雇用システムの再構築へ
 「第4章 職場からの産業民主主義の再構築」
 3 職場の労働代表者組織をどう再構築するか 新たな労働者代表組織の構想
 5 ステークホルダー民主主義の確立 ステークホルダー民主主義の確立に向けて

P207
「このように見てくると、規制改革会議の意見書に典型的な利害関係者の関与を排除する考え方と三者構成原則の対立の背後には、民主主義をどのように捉えるかという政治哲学上の対立が潜んでいることが浮かび上がってきます。」

「それに対してEC条約やEU諸国のさまざまな制度には、社会中に特定の利害関係が存在することを前提に、その利害調整を通じて政治的意思決定を行うべきという思考法が明確にしめされています。」

P208
「社会システムが動揺して国民の不安が高まってくると、一見、具体的な利害関係から超然としているように見える空虚なポピュリズムが人気を集めがちになります。これに対して利害関係者がその代表者を通じて政策決定に関与していくことこそが、暴走しがちなポピュリズムに対する防波堤になり得るでしょう。重要なのは具体的な利害です。利害関係を抜きにした観念的抽象的な「熟議」は、ポピュリズムを防ぐどころか、かえってイデオロギーの空中戦を招くだけでしょう。
 利害関係者のことをステークホルダーといいます。近年「会社は誰のものか?」という議論が盛んですが、「会社は株主のものだ。だから経営者は株主の利益のみを優先すべきだ」という株主(シェアホルダー)資本主義に対して、「会社は株主、労働者、取引先、顧客などさまざまな利害関係者の利害を調整しつつ経営されるべきだ」というステークホルダー本主義
の考え方が提起されています。

 ここでは妥協は不可避であり、むしろ義務となります。妥協しないとは無責任という悪徳なのです。労働問題に関しては、労働者代表が使用者代表とともに政策決定過程にきちんと関与し、労使がお互いに適度に譲り合って妥協に至り、政策を決定していくことが重要です。

抜粋終了。

 自分は、経営者でもありませんし、経営者の親族でもありません。一般的な中小零細企業の場合、総務・経理部門は経営者の親族(大多数は代表者の配偶者)というのが大半です。そういう部分から、「経営者側の視点」と断じられたのかもしれません。
 中小企業の労働者はむしろ中小零細企業という特質性から、株主=使用者代表に従順に従うことを求められがちではありますが、ISO等の導入等により変化しています。当初はEUとの貿易摩擦解消による大企業のEU圏での経済権益への参加要件として、国交省等から導入を推進した際は、多くの担当者が自殺したものです。正直なところhamachan先生が、あと20年も前に現在のようなご発言のできる立場に居られればそういう事も多少は軽減されたかもしれません。(あくまで妄想ですが。)
 現在さまざまな形で、企業存続のツールとして空気のようなISOの考え方というのは、その企画ごとに見方は変わりますが、上記の記述の精神が織り込まれているのです。日本型雇用の特殊性が喧伝されますが徐々には変質しつつあるように自分は見ています。理想論者からすれば拙い変化ではありますが、ゆるやかなステップアップが継続されるためには「労働者が経営者側の視点」を持たなければ、利害調整=妥協が成立することはできないように感じます。
 イデオロギーを優先すれば、妥協というものが「屈服」したことでしかないような見方しかできなくなることは、労働者個々にとっても非常に不幸なことでしかありません。労働組合が労働者個人の能力の向上に資することを放棄して、単なる勝ち負けに堕しては存在意義などありません。それこそ「希望は戦争」的な議論しか目に入らなくなります。

 大企業による節電やワークライフバランス円高のツケは中小零細企業にコスト転嫁されやすく、中小零細正社員は崩壊寸前(節電対応で過重労働。ワークライフバランスによる、休日返上での労働要求)で、外国人研修生・非正規雇用等で辛うじて持っている会社とそのような制度を利用して儲けている企業に分離が進んでしまったことに憂慮しております。
 このような社会になったのも、大企業、労働組合、学者の同階層以外見ない政策提言によって、大企業と中小零細企業(経営者と労働者)との利害調整の機能不全(霞が関叩き)によって、と齎されたと言っていいのではないでしょうか。
 政権交代後の民主党の政策に期待が持てないのは、その本質が「中小零細企業の淘汰」であるからですね。期待するのが大企業・NPOの方達ばかりなのも、その利益調整を弱めてしまってきたからにすぎません。立場としては、「大企業・NPO・学者」には、社会制度の提言をするのならば、利益調整から逃避するなと言いたいのです。ですから、「経営者側の視点」と呼ばれても、自分としては「労働者側の視点」ですとしか言えません。
 プロセスの妥当性・検証等をするのは、「経営者側の視点」と「労働者側の視点」をもって臨まなければ、「やらされ感」で組織が硬直して、「フレクシキュリティ」など望むことなど不可能です。