津波被災の記録27

 恥ずかしい話だけれど、被災者間の現実については、マスメディア等で美化する報道が目立つけれどそんなに綺麗なものではない。以前にも書いたけど、「いとこ、はとこ消防団」と地元でも揶揄される消防団が住民の捜索をさせないで、金品等を集めていて、本人へ渡していなかったことがある。うちの集落は翌日から廃校になった小学校で3食(ご飯2杯、味噌汁、オカズ付)を、皆が持ち寄って提供していた。毛ガニ汁や松茸ご飯等々冷凍等あるものを出し合っていたのだ。
 はっきりいって、他の避難所から見れば、恵まれていたはずだ。
 1ヶ月以上も続く中で、住居を喪失した人達のモンスター化がすごかったのだ。ご飯二杯では足りないとか、トイレ掃除もしろとか、お前達は何でもするのが当然との態度が凄く、住居は残ったけれど収入がゼロとなり支援も無いところへは、要求と虚しさが蓄積していた。
 炊き出しボランティアが来ても何の助けにもならない。むしろ作業の手伝いに駆り出され、700人分の焼きそばを作らされ、片づけを押し付けられ、焼きそばの大半は他の避難所へ持って行った。単にボランティアと称する自己満足集団に利用されただけ。女性達の負担とストレス解消に全く役立たなかった。
 
 瓦礫撤去作業員という収入の確保についても、「住居を失った方達から住居が残ったやつらは、参加するな」という言葉を投げつけられている。住居を失ったことは気の毒だと思う。自分の家も、明治・昭和の津波で家も家族も無くなって今の高台へ移ったのだから。当時は生きるために、山林等の証書類を預けていても奪われたりしたのだ。津波で証拠は無くなったのと、女性しか残らなかったところへの仕打ちは悲惨だった。過去の話を聞いているからこそ、簡単に国有化とか口にするのは憤りが混みあがるのだ。
 「新しい公共」は人を容易にモンスター化させる。タダで人を使えること、自分は何もせず、ということに胡坐をかいてしまうことで、「自分達は特別」となってしまう。被災者という定義は一体なんなのだろう。雇用をかろうじて維持してきた中小零細企業は、震災後に自己破産が急増している。無傷な市の西部にそれを吸収する雇用は元から無いことを考えれば、今は土地購入も即決現金払いや賃貸物件もほぼ無くなったことで、良いように見えるけど、車のローンは組めず現金払いという状況では、じり貧で縮小することは目に見えている。

 今の復興会議や県の対応では、産業は壊滅した更地を望んでいるとしか見えない。
 連合が今頃、管首相に「雇用は大事」といって、「そうだ」といったとか。
 誰にとっての「雇用」で、どの地域の「雇用」なんだろう。