津波被災の記録4

平成23年3月14日
津波被災後の自宅の集落状況





自衛隊が入った。ただし、あくまで亡くなった方の捜索が優先。

林道が直前に通っていたらしい。これで平田地区へ車で行けるとのこと。
通常の道路は、瓦礫で通行不可。
林道工事の重機が残っていたらしい。不幸中の幸い。オペレーターが2名いるとのこと。道路のがれき撤去が始まる。また、法面工事の大型の発電機が残されていたのを、使用させてもらい避難所の小学校(廃校)に運び使用する。今年、民主党系の市長や市議等から「無駄な施設」ということで取り壊される寸前だったことを思うと、残ってて良かった。給食設備も無事で炊き出しをして、避難者を保護できた。市の方針では避難場所は校庭跡地であって施設は関係ないとの説明だった。避難しても雪が舞う外に立っているだけで避難措置は十分という判断だったらしい。恐ろしいことだ。

湾口防波堤の状況


平成23年3月15日
2日分の食料と水をリックに入れ、不明者と会社跡地の確認に向かう。
歩いている途中、車に乗せてもらい、松原町付近で下してもらう。
このころには、自衛隊等が大分入り45号・283号の道路の除去は終えていた。
松原町付近