津波被災の記録3

平成23年3月12日
社員の安否確認に向かう。6:30
取引会社の方に居るとの情報で、のぞみ病院へ向かう。
病院の1階部分は壊れて、横の緊急車両用道路側から出入り。
各階ごとの避難者名簿を確認も名前が見当たらず。
釜石小学校へ。
道路上に、救急車及び消防車が重なり壊れている。
チョウザメが散乱。釜石キャビア(株) 釜石市平田地内の流れたものが、この付近まで流れてきている。大渡町までの道路は完全にふさがれている。被災した住宅の敷地に通路(2m近い段差)に梯子をかけて通らせていた方によって、向かう。
 釜石小学校前で社員1名と出会う。専務(当日仙台出張中)並びに社員1名(当日内陸に出張中)が、社員の安否確認をしているとのこと。また、車両1台の無事を確認。当日、東北電力(株)釜石営業所構内にて作業していた社員の安否確認。車両は大只越町の奥にあるとのこと。(後で確認済み)
 また、片岸町地内での河川改修中の社員の避難状況を聞く。ただ1名が母親を助けるため途中から両石町に走って向かった。安否不明。
 鵜住居町・大槌町の家族の安否確認に4名が高規格道路(供用中)を歩いて向かったとのこと。
 甲子町方面の方達も山越えしたとのこと。
 釜石小学校内には、留まっていないことを確認。旧釜石一中体育館へ向かう。
 親戚の無事も確認しつつ、会計事務所所長さんの無事(会計データの無事も確認)、北日本銀行釜石店の行員の無事等を確認。
 市職員並びに被災者個々に残骸等を運びたき火して暖をとっている中で休む。
 日本貨物の運転手が提供して頂いた冷凍食品を焼いて皆で食べる。
 2日目はこの場所にとどまる。深夜寝るために体育館のステージ上で休むが毛布もない状態で、寒さのため目が覚めたき火の場所に戻る。看護士?の女性の方達が震えながら集まっていた。看護をするほうも大変なのだ。仮眠と暖をとって介護者への対応へ戻っていった。ラジオで釜石市の情報だけはいらないことに、頑張っていると分かりつつも市への対応に憤る声がでる。(誰かに向かわねば精神の平衡が保てない) カップヌードルを市職員から配給されるもお湯は自前で調達とのこと。誰かがヤカンや鍋を拾いたき火にいれお湯を沸かす。(お湯が本当にありがたいものだと感じる。)
 
平成23年3月13日
大津波警報の解除(津波警報は継続)とのこと。朝方に高架を渡り、橋を越えて自宅近くまで歩くことにする。(右足首をねん挫していたらしい。転んで左手の小指の突き指も)
 会社跡地は建物の無い状態。釜石警察署も壊滅状態。歩いている人の話では生活安全課長ほか3名が行方不明とのこと。道路に家がありふさいでいる。大平町釜石商工付近で親戚の人に出会う。
船で沖に2日間いたらしい。父親の消息も聞く。地震後直ちに船で沖にでて、いまもどったとのこと。自宅に連れて貰い食事等を頂く(感謝)。避難所から母親を連れに行くとのことで、一緒に自宅まで車で向かう。下平田地区は壊滅状態。道路が塞がれているので迂回路(唐丹町〜本郷〜花呂部〜自宅へ)を走る。本郷の海岸沿いは土地の流失で家屋が倒壊。花呂部は多くは道路(住宅地より高い)に避難していた。佐須地区は3軒程度が残っただけ。自宅へ。
 2日間休む。
 当日の自宅の津波の状況