鵜住居地区防災センター

富士山 2011/07/29 13:09
はじめまして。「鵜住居」を検索していてたどり着きました。
高校卒業し、釜石を出てから30年以上になります。
その間、帰省したのは数えるほどでした。実家が転居したことで行かなくなったんですが。

このたびの震災、お見舞い申し上げます。
私の親戚も行方不明や全て失ったりしています。もちろん、友人も。
5月の連休に親戚のところに行ってきて、その悲惨さに声を失いました。

鵜住居防災センター、かなりの人数が亡くなったと聞きました。
避難訓練に使っていながら、市は避難場所ではないとの説明。
周知が徹底していなかった…と言い訳にもとれる発言。
テレビで放送されることは、なかったように思います。
苦しんで自分を責めている人がたくさんいるのに。

友人からもテレビではいいことしか流していない。
現実は殺気立ってる顔の人をよく見かける、とか。
色んな格差も出てる。結局、お金のない人はどうにもならない…と。

あんなにたくさんの義捐金、どこにどう回っているのか?
以前、新潟で被災した知人は、各家庭に来ることはなかった、と。
僅かな、お見舞金くらい?
結局、家族が一緒に生活出来ず夫が単身出稼ぎ状態とか…

すみません、大した内容もなく話がそれました。
日記、時々読ませていただきます。
お体にお気をつけて。


  富士山のある県の方からのコメントについて、他のコメントとの関係もあり、お気遣いさせてしましましたことは、大変申し訳ありませんでした。
 
 鵜住居地区防災センターにおける避難者約200名。その後の、約60名の遺体と生存者約25名については、あまり触れないようにしてきました。
 生存者の中に社員1名がいました。地震発生後、現場から避難するさい途中から他の社員と別れ、自宅の根浜地区へ走って向かったそうです。途中で海の状態を確認し、鵜住居地区防災センターへ避難しました。津波がセンター内に入ってきた際、カーテンレールにしがみつき、かろうじて出した頭で何とか助かったそうですが、他の方達を助ける余裕はなかったそうです。
 翌日、自衛隊のヘリコプターで救出される際、自衛隊の方達が、折り重なるように固まった遺体の山を見て、皆涙したそうです。
 社員は未だによく寝れないと話しています。どうしても浮かんでくるのだそうです。社員にとって、「働くこと」が、その事を忘れることができるものとなっています。

 社員は言います。「何もしないで、仮設住宅に一日居たら気が狂う。」

 会社としては、そういう社員を「がれき撤去」=KFW(キャツシュ・フォー・ワーク)の大義名分があろうと、配置することはできないのです。
 多くの人達が死んだあの惨劇の場所と同じところに、前向きではない仕事に着かせることは難しいのです。ですから、復旧・復興という前向きな仕事を与えることが早急に必要なのです。でも、KFWやSPCを提唱・賛美するような方達は、そのようなことには無頓着で、理想の押し付けによって、精神を病む労働者を生み出すことにまで配慮は感じられません。
 「新しい公共」というものが役に立たず、むしろ有害なまでに地方自治を歪めることの現実を目の当たりにし、低コストで住民自治=自主防災組織というものが、むしろこの惨状を生んだ原因なのだと感じるのです。

 鵜住居地区防災センターの津波の被災状況をビデオ撮影していたヤマザキショップの経営者の方は、その後、錯乱状態に陥り、般若心経を一心不乱に唱え続けていたという話です。
 また、それを見た方は避難所で錯乱状態から心臓発作を起こして死んだという話もあります。
 
 30年以上前の市町村合併からの願いがこのようになったことは、何とも苦いものでしかありません。

 釜石市に頂いた義援金について、一部では市の職員や市長がネコババしたような噂話が飛び交っているのは事実です。ただこれは釜石市以上に、自治会や町内会へ来た「義援金」の方が分からなくなっています。幹部連中で分けたんだとか言われています。真偽はわかりません。でもそのような話が出る背景に、支援物資を幹部連中だけで分けて軽トラックで運んで行ったのを見た。という話がでていることもあります。
 今回、釜石市では約70tの支援物資の廃棄をするそうです。他の避難所にあった支援物資も含め、全国の皆様のご支援が適切な形で処理されることの難しさについては、今後も課題となることでしょう。

 大船渡市内の状態は、釜石市以上という話も白ほら聞こえてきます。仮設事務所に物は何一つ置けない。道具等も毎日運ばないと無くなる。もう5か月になろうとしているのに、ボランティア頼みで何一つ動こうとしない人達、ある一定の自立した生き方をするためにも過度なボランティアの投入はむしろ自立する思考を奪い安いのではないか? そういう状態の方が、住民の意思決定より外部のコンサルタントが幅を利かせやすい環境ではないか。「新しい公共」が、与え奪うもの、地方が喪失するものの片鱗を垣間見せてくれているように思います。
 
 ですから、今後住んでいる東海地方を含めた住民の方達は、良く考えてほしいのです。
 「新しくない公共」を簡単に批判する前に。