津波被災の記録48

 社員が一人無くなった。地元の集落でも突然死で亡くなった方が出ている。
 東日本大震災による震災ストレスについては、あくまで住居を被災した方を対象としてメディアで語られるけど、それ以外の人々はその措置からは漏れている。自己責任なのだろうか。
 労災適用が判断の難しい案件とのことで、労基署と遺族の間を報告や説明をしつつ、福利厚生の民間保険等の諸手続きをしながら、被災地の医療崩壊の現実を見せられたことにショックだったことが、頭に残る。今回の震災により「命の道路」という名称で、横断道、縦貫道の整備が進むそうだ。
 鵜住居・栗林・橋野地区住民による、釜石市との合併の条件の一つであったことが、現在の中妻町から野田町住民達の反対と無視による、市町村合併後の冷たい仕打ちによって、様々な整備は遅れた。現在残った市街地の住民の酷薄さは、市町村合併以前から根深いものがあり、容易に解決しえないだろう。コンパクトシティがそのような住民間の対立を扇動しやすい部分について、「集中と効率」の名で無視されることが多いのは、新住民は住民とは感じない集落の負の感情によるものより経済効率が解決する手段と考えている節が感じられて仕方ない。
 様々な思想が乱立しようとも、最終的解決には至らないだろう。

 岩手県による県立病院の統廃合は、盛岡地域、花北地域、一関地域のみが医療の集約拠点で事足りるということが根底にあり、高規格道路網の整備と一体の医療改革であることを住民が認識していないことが、「無駄な道路」という喧伝に踊らされた。今回の沿岸部の医療は地滑り的に崩壊している。医療機関の体をなしていない。手術が必要な場合、上記の三地域に1時間以内に受けれる場所に住んでいない住民は、満足な医療は受ける権利が無いというのが統廃合の真実である。
 鵜住居・栗林・橋野地区住民の旧釜石市との合併の条件の一つは、救急救命医療が受けられることが条件で、そのための救急車の配備を30年以上にわたり要請し続けてきたことを、被災しなかった今回の住民たちが無視続けてきたのだ。「あんなところに必要ない。」「税金の無駄」と。
 今回の震災で、「釜石の奇跡(幼小中の津波避難)」と「釜石の悲劇(防災センターでの避難と被災)」は、釜石市で一番被害を受けた方達の、市町村合併の長年の願いが叶ったものが生み出したものであって、震災後のネットでの様々な批判や称賛を見るたびに、市町村合併の闇というものの深刻さを見ない方達の簡単な批評に冷ややかに見入ってしまった。
 横断道・縦貫道によって利益を享受するのは、被災しなかった地域の住民だけだろう。
 だけど、その利益が貴方達が無視続けた住民達の運動と願いと死によって得られることは、無視しないで貰いたい。メデイアによって語られることは無い想いを汲めないで、軽々に「共同体は素晴らしい」という礼賛はしないでほしいものだ。