きそじちたい

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110603t31013.htm
町長不在で復興計画難航 いまだ「白紙」大槌町

難航する町の復興計画策定に生かすため、町民の意見集約を図る住民会議=5月31日、岩手県大槌町安渡小


 東日本大震災で町長と職員32人が死亡した岩手県大槌町で、復興計画の策定が難航している。トップ不在の影響は大きく、県内の被災した沿岸市町村で唯一、計画が「白紙」のままだ。町は8月末を期限に町長選の実施を急ぐが、町外に避難した住民も多く、選挙人名簿の確定にも苦慮している。足踏みする町に対し、住民らは独自に計画策定を後押しする活動を始めた。
 「トップの不在は復興の遅れにつながる」
 大槌小で5月19日に開かれた町議会議員説明会。東梅政昭副町長はこう語り、震災による統一地方選の特例法で延期されていた町長選を8月末までに実施する方針を示した。
 町長の職務代理者を務める東梅副町長は今月20日で任期満了となるため、町は近く、幹部職員による災害復興計画準備委員会を設立し、計画の基本方針を決める考え。ただ、職員の大半が仮設住宅建設や義援金の支払い業務などに追われ、できるかどうかは不透明な状況だ。
 市街地の約半分が浸水した同町の復興計画では町の中心を海側に置くのか、山側に置くのかも問われる。ある町幹部は「今後の町の在り方を決める重要な決断で、町民の負託を受けた首長の存在は不可欠」と話す。
 選挙実施には壁が立ちはだかる。選挙人名簿が確定できないことだ。
 町は町外に避難したと思われる約4000人の所在を把握していない。町民課は今月中旬にも、住民基本台帳ネットワークへ再接続し「各自治体から送られてくる町民の転出届のデータで実態把握に努める」と話す。
 町が足踏みする中、住民やボランティア有志は、町の計画策定に住民の声を届けようと「大槌復興まちづくり住民会議」を発足した。
 安渡小で5月31日開かれた初会合には約60人が出席し、「津波対策」や「海との共存した町づくり」などについて話し合った。今後、各避難所で開催した後、意見をまとめて町に要望する。
 住民会議共同代表の赤崎友洋さん(32)は「計画策定は町長が決まらなければ難しいかもしれないが、住民の意見が集約できていれば近道になる。できることからやりたい」と話している。


2011年06月03日金曜日

http://sumisumi.cocolog-nifty.com/sumisumi/2011/05/post-e7cc.html

2011年5月30日 (月) 大槌,合併の可否
長いので省略


 加藤宏暉大槌町長のご冥福をお祈りいたします。

 町営建設工事における談合事件に関与したものとして、当時の町内建設会社の社員と家族(約3千名)の生活を保護するために、加藤町長には提案したものを受け入れていただき、何とか町民離散は防ぐことと倒産回避を行うことができた。
 本来関係のない隣市側に住む者としては、救済するひとに関与するとは考えてもいなかったし、市町村合併問題もあり関わりたくなかった。というのが当時の本音ではあった。
 今回、SUMISUMI先生(名大)が触れたので、当時のことを思い出しながら、ちょっと違うことを書かせていただく気になった。
 町職員による長年の官製談合の存在は、町民や燐市の建設会社にも知れ渡っていたし、井上 ひさし氏の兄(共産党だったらしいけど)から、片手(50万円)を某職員に持っていかないと仕事が貰えないとこぼしていたそうだ。あまり恥ずかしいことではあるし書くことではないかもしれないが、この前提があることが市町村合併反対の一因にもあったのは否定できないところでもあったからです。単に基礎自治体の規模を論じた場合、大槌町と合併してもメリットはありません。あくまで全体としては、基礎自治体の適切規模の目安提示が、自民党案が10万人、民主党案が30万人ということで、最低限の維持目標として、気仙地区(大船渡市・陸前高田市・住田町)2市1町と上閉伊郡(遠野市釜石市大槌町)2市1町の合併という話に持っていかないと存続しえないということだったから。経済活動からいえば、釜石市、大船渡市、遠野市陸前高田市大槌町、住田町。
 大槌町との合併論で出てくるのが、釜石市での就業率の高さで、45号線の大槌-釜石間の朝夕の通勤ラッシュは田舎とは思えないほどで、大雪・事故等の自然災害等で東京並みの帰宅困難者が出やすい構造でもあったことの改善するために、高規格道路(三陸縦貫道)と林道等のによる迂回路の確保が住民にとっては悲願だったんですね。大槌町側は盛岡市との連動に重点を置き、南北と西側への連結を考えている釜石市とは、その後の自治体存続への考え方が違っている以上、合併を強制する気は市民側にはないけれど、経済依存度の高さから合併しても不思議ではないね。同一の郡部ということも単純に見ている市民が殆どであると同時に、鵜住居町と栗林町と橋野町(約1.2万人)住民による血縁・地縁と大槌町での消費を支えている現実によるものがあったから、市の北部であるこの地域と東部・西部・南部では温度差が全く異なってる。
 談合事件による町民(3千人)の離散防止と生活維持に関わらざるを得なかったのは、そのような地縁・血縁・経済的な要因から、解決する手法について突然のように命じられることとなった。当時の資料は津波で流され自分の手元にはもうない。某新聞社にはその後の岩手県建築工事業者の談合問題の解決について尋ねてきた際、資料一式を渡したので残っていることだろう。
 当時、自分程度の頭で、3千人の人間を救うことを3日でまとめることとなったけど、その頃に、hamacan先生のブログを読んでいればまた違ったろうな。当時、公開でもすれば袋叩きにあったろうなあ。
 加藤町長の決断で案を受け入れていただきましたけど、労基署の所長・署員から含めて援護射撃を頂戴したことも大きかったし、経営者を労基署に引っ張っていき相談させ、労働相談を受けさせることで、労基署というものへの見方が変わる契機になったのも大きかったように思う。
 派遣問題との関係もあり、市町村合併の問題もあり、恩を売ってやがるという町議員や嫌がらせをする町議員もいたので、みんな精神的には大変だったと思う。けどなんとか1年頑張った。
 sumisumi先生は、住民自治の多様性の保全と防災をからめているけど、「新しい公共」の「自主防災会」「地域会議」は、震災で完全に機能停止しました。都市的な釜石市ではですけど。スケールメリットによる基礎自治体規模の確立というより、アウトソーシングの拡充という部分が主たる狙いだったと見ていますけど、経済活動の導線と政治的な導線を確保しえていないことが、コンパクトシティ的な都市構造とネットワーク連携のようなものでという話が後付で出てきてしまうんです。本来はそれらが先で、その実態をもってしないと、「事業仕分け」のように危急時(議会承認の省略)の滞欧ができない状態に国家をしてしまう、管政権のような有様になるんです。余力のある公務員数の確保と基金と特会の意味は、機動性と補完の確保をもって国民の生命財産を守る意味ある余剰なんですけどね。

(追記)
 余裕がないと人を助けるなんて、ホントにできないもの。
 この件が「希望学」との接点でもあった。都市的なものがどのように衰退し停滞する部分の数値的な考察という部分へ危惧みたいな感覚という意味で。ただ「希望学」読みながら過去の記憶をたどる際に、「希望学」と「サステナビリティ学」との関連を含め、何故「希望学」で、釜石と室蘭・苫小牧との関係と政治的背景(選挙区)と新日鉄ブリジストンと鳩山家へ至る部分と労組の運動が高炉閉鎖への主たる原因へ考察が無い点については、地元の本当の苦悩が描かれていないことへの疑念があるがゆえに「聖地」なる定義へき疑義が付きまとう。