津波被災の記録141

 発災から4年が経ちました。途中まで書いていたものが消えてしまったので、しばし呆然としていた処ではありましたが、リフレ派の方達による「費用対効果ガー」のブクマにすこしイラッときました。
 「復興が進んでいない」「遅れている」というのは、実務に携わる者達にとっては、メンタルヘルスの観点からは「呪い」を掛け続けられていると言っても良いでしょう。昭和大津波や戦後70年以上の時間を掛けて作り上げた年数が4年で元に戻らないのがおかしい。「津波を100%防げない防潮堤はムダ」という、「神の御業を国交省が持っていないのは認めている」と言われて「ああ、そうですね」とした感想しかでません。

なげなわぐも‏@anhebonia
「そこに住んでた被災者の自己責任なのだから、復興予算は被災者が負担すべき」まで、あと半歩。 実家、兄弟が被災しても、まぁ、こんなもんさ。

 被災者については、義捐金所得税・住民税の課税所得としていませんし、3年間は課税免除でしたの、被災した自治体職員などが「税金の還付で金が貯まる(被災者の所得税・住民税免除=財源は復興特別所得税・復興特別住民税)」と市民にほざくしまつでした。でも免税期間が終了し、復興特別所得税・住民税を被災者も負担するということで、「復興予算は被災者も負担している」ことになります。また、消費税増税により、原発避難者への給付金についても避難者も税負担から逃れていないわけですから、復興予算は被災者も被災者以外も負担しているのです。この流れは、生活保護社会保障等でも同じです。誰かだけが肥え太っているのではありません。

復興事業にも「費用対効果」の視点を

 宮城県気仙沼市の「舞根地区防災集団移転促進事業期成同盟会」の畠山孝則会長。舞根2地区の高台移転事業のまとめ役を務めた方の話ですが、違和感がかなりあり「費用対効果」という内容について疑義があったため、はてぶでは「馬鹿だろこの人」と致しましたところ、

 ご丁寧に、theatrical さんに IDコールされました。

hahnela03 津波に関して、防波堤等だけで防げないというのは、国交省の公式な見解です。参考 http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h22/hakusho/h23/html/k1223000.html

そのため、下記の通りご返事いたしました。

theatrical  「津波てんでんこ」も知らない者だと思われているようで恐縮です。被災地で津波も見ていないし高台移転と用地買収と造成の問題も知らいない者というご認識で不勉強を御指摘頂き大変感謝いたします

この記事については、更に内容等について自分が感じた疑義について、別にまとめたいと思います。

マシナリさんの4年の中で、

こうして振り返ってみると、震災後の防潮堤を巡る議論などが紛糾した大きな要因は、「お金をかければ早く復興する」という素朴な信念だったのではないかと思います。財源を確保することは当然必要ですが、様々に錯綜するお互いの権利について合意を得ながら、法的な面からかつ予算執行の面から適切に手続きを進めるという実務は、お金の多寡でその適否やスピードが決まるものではありません。しかし、震災直後に日本全体がある種の高揚感に包まれていた時期の議論では、「とにかくお金をかければ復興する」という理念が先行して、どうやれば適切に手続きを進められるかという視点は、あまり顧みられることがありませんでした。

>こうして振り返ってみると、震災後の防潮堤を巡る議論などが紛糾した大きな要因は、「お金をかければ早く復興する」という素朴な信念だったのではないかと思います。

リフレ派の方からIDコールを頂戴して、被災地はハードに固執しているように勘違いされる象徴として「防潮堤」が挙げられますが、本質は「権利関係の解決にお金を摘めば簡単に応諾する」だったと思います。工事をするための金は当時の入札状況からは、震災以前の低価格入札が続いていたのでそれほど旨味のある仕事ではありませんでした。
2015/03/13(金| hahnela03

> hahnela03さん

おっしゃるとおり、始めから「カネの問題」ではなかったんですが、権利関係とその調整手段としての手続き、それを担う公務員の人員不足についての問題は、特に経済学方面からはほとんど相手にされませんでしたね。むしろ、復興増税ガーとか国債の日銀引受ウォーという自説に都合よく使える方便として消費された面もあると思います。石原伸晃環境相が「カネの問題」と発言して一斉に叩かれた一方で、「復興予算を逐次投入せずに一気に投入すべき」とかいう経済学者にはほとんど批判がなかったのが象徴的です。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-521.html

それどころかカネの問題であってもさらに少ない財源で復興できるとかのたまう方が近々枢要な公職に就かれるとのことですから、この国の経済学方面の議論の迷走ぶりは世界標準なのでしょう。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-522.html
2015/03/16(月) マシナリ

リフレ派(日銀委員)が、「統合政府による債権債務消滅理論」という謎のマクロ経済理論と「被災者一人当たり3千万円バラマキ復興終了理論」ですからね。

超復興への長い道(前編)

超復興を達成するためには、十分な額の投資と、 十年単位の時間が必要です。
十年ではありませんよ、十年単位。
私は少なくとも三十年かかると思っています。

ところがお立ち会い。

この国の政府は、東日本大震災からの復興期間を2020年度までの十年間と決めている模様。

ついでにその十年間でも、前半の五年間が終わったら復興の責任を被災自治体に順次、押しつけてゆこうとしている模様です。

それが「被災地の自立をうながす」ことになるらしい。

未曾有とは「いまだかつて起こったことがない」という意味ですよ。
にもかかわらず、復興は十年で終わりと決めて構わないらしい。

ついでに五年たったら、被災地の自立をうながすべく、国はカネを出し惜しみして良いらしい。

超復興への長い道(後編)

被災地の自立をうながすためにも
復興を順次、自腹でやってもらおうとする発想は
これと似ていないでしょうか?

要するに
追い込めば「火事場の馬鹿力」が出るというわけです。

なるほど、その可能性もなくはない。
ただし「火事場の馬鹿力」って、本質的に長続きしないものなんですよね。

そして超復興を達成するには十年単位の時間がかかる。
とにかく自立へと追い込めば良いと構えるのは果たして賢い発想でしょうか。

この発想は明らかに

被災地の人々を自分たちから切り離して考える発想の産物です。

 被災地は白いキャンバスを手に入れた人達のモルモットにされ飽きたら捨てられる。それが「自立」なんだそうです。
 震災のあの時あの場所の情報しか得られず右往左往している間に、東京で何を決めたんでしょうね。
 被災地には絶対に語られることないことが東京で決まり、都合が悪くなったことは「ムダ」という「マジックワード」で消し去る。東京で決めた都合の悪い、語られることのない事を「費用対効果ガー」で消し去られるのはいささか虫が良すぎると思うんです。